きらきら光る星の川



 七月七日、引き離された夫婦の織姫と彦星が一年に一度だけ会える日だ。とは言え東京はいつも七夕は梅雨の時季だから、生まれてこの方七夕当日に天の川を見られたのは一回か二回ぐらいだったと思う。
 今年も例年と変わらず七月七日は雨模様だ。朝からしとしとと降り続く雨が陰鬱な気分を誘う。
 さらに気分を落ち込ませるのが目の前に迫った期末試験だ。受験生という身分の今、面倒だと投げ出すこともできない。わたしの通う秀尽高校は昨年教師の不祥事が重なり世間からの目が厳しくなったせいか、今年は特に先生からの「真面目に、品行方正に、優秀に」というプレッシャーが強い。心を休める暇がなく、息が詰まりそうだ。
「はあ……」
 ため息とともに机に突っ伏した。こういうとき頭に浮かぶのはいつもあの人の顔。
くん……」
 今は離れた場所で暮らす恋人の名前を呼んだ。当然、返事があるわけないのに。
 くん。複雑な事情があり高校二年の一年間だけ秀尽に通っていた、わたしの恋人だ。今は地元に帰ってしまっているため、わたしたちは遠距離恋愛となっている。
 くんと最後に会ったのはゴールデンウィークだ。連休を利用し東京へ遊びに来てくれたくんと、あのときだけは受験生という立場を忘れて多くの時間を共に過ごした。一緒にいられる時間があまりに楽しくて幸せで、最終日に帰るくんを見送ったとき、堪えきれずに大泣きしてしまいくんを困らせてしまったこともよく覚えている。
 あれから二ヶ月。電話やチャットはマメにしているけれど、寂しい気持ちは拭えない。けれど、夏休みにもくんはこちらに来てくれる。だからあと少しの辛抱だ。
「……はあ」
 雨、受験生、期末テスト、遠距離恋愛。ずんと背中に暗澹とした感情がのしかかる。
 机の端に置いたスマホを弄る。最新の画像は先日駅前の商店街に飾られていた笹にくくった短冊だ。願い事はもちろん「くんとずっと一緒にいられますように」、これ以外にわたしの願い事はない。そう思っていたのに。
「会いたいな……」
 これから先ずっとくんと一緒にいたいと言う願いは変わることはない。けれど今はもっと、今すぐのことを願いたい。
 今すぐに、この瞬間に、くんに会いたい。
 じわり、目の端に涙が浮かんだ。視界の中の短冊の画像も歪んでしまう。
「わっ!」
 手の中のスマホが突然震え、歪んだ画像が着信画面に切り替わる。着信の主は、くんだ。
くん!?」
、今平気?」
 慌てて電話を取ると、くんの優しい声が聞こえてきた。
「うん、テスト勉強してたけど今は休憩中だから」
「俺もそう。の声が聞きたくなって」
 くんの声に、言葉に胸の奥がじわりと温かくなっていく。大好きな大好きなくんの声。いつまでも聞いていたいくんの声。
「わたしも……わたしも聞きたかった」
 耳元のスマホをぎゅっと握りしめながらくんの言葉に応えた。本当は会えたら嬉しいけれど、声を聞けるだけでこんなにも嬉しい。
「雨ばっかりで……天の川も見えなさそうだし。雨だと願い事も叶わないのかな」
 雨だと織姫と彦星は会えないという。それなら願い事はどうなるのだろう。願い事と天気は無関係だろうか。そうだといいな。もし雨だと短冊の願い事が叶わないのだとしたら、わたしは。
「……
 わたしの言葉を遮るように、低い声でわたしの名前を呼んだ。
「なにかあった?」
「え……」
 くんの言葉に、心臓が跳ねる。何も、ない。特別なことは何も。ただ、少し。ほんの少しだけ。寂しいと、思っただけ。
「別に……何もないよ」
「……そう?」
「うん」
 だからと言ってくんに「会いたい」なんて言ったところで困らせるだけだ。すぐに会える距離ではないのだから。
「俺はに会いたい」
 音を立てないように涙を拭っていると、電話越しにくんの優しい声が聞こえてきた。
「毎日会いたいって思ってる。すぐに会える距離じゃないのがもどかしい」
くん……」
は思わない?」
「わたし……」
 わたし。わたしは、
「わたしも会いたい……」
 わたしだってくんに会いたい。毎日そう思っている。会いたいと思い立ったときにすぐに会える距離だったら、そう思ったことは数え切れないほどだ。
「うん。夏休み入ったらすぐそっちに行くから」
「うん……」
「佐倉さんがルブランの二階使っていいって言ってくれてるからしばらくそっちにいる。受験生だから勉強漬けになりそうだけど」
「うん」
「でもたまには遊びに行こう。秋の連休はが来てくれるんだろ」
「うん。絶対行くから」

「うん……」
「寂しいときは寂しいって言ってくれていい。俺だって同じ気持ちだから」
くん……」
 暖かな声にぎゅっと胸が締め付けられる。わたしの言いたいことを、くんがすべて言ってくれる。わたしの心を代弁するように。
「ごめんね、なんだか気遣ってもらっちゃって」
「気なんか遣ってない。俺が言いたいこと言っただけ」
「……そっか。でも……もう切るね。勉強しないと」
「ああ。勉強サボって大学落ちたら洒落にならないし」
「ふふ、うん」
 くんは来年こちらの大学を受験する予定だ。大学に受かればまた傍で一緒にいられる。電話で話しすぎて大学落ちて一緒にいられる時間が先延ばし……なんて本末転倒もいいところ。
、こっちは晴れてきたんだ」
「あ……そうなの?」
「天の川も見えそうだ。だからきっと願い事も叶う」
 くんはそう言うと、「また連絡するから」と言って電話を切った。通話の切れたスマホを手にしたまま首を傾げていると、くんから画像が贈られてきた。
「これ……」
 くんが送ってきた写真に映っているのは「とずっと一緒にいられますように」という願い事の書かれた短冊と、晴れた夜空、きらきら光る星の川。
くん……」
 わたしは思わずスマホを抱きしめた。
 東京は相変わらずの雨模様。でもきっと大丈夫。くんの願い事が叶えば、わたしの願い事だって叶うのだから。





「あ、短冊!」
 駅前の商店街で買い物をしていると、「ご自由にどうぞ」と書かれた色とりどりの短冊が置かれている。太いマジックも用意してあり、多くの子供たちが想い想いに願い事を書いているようだ。
くん、一緒に書こう!」
 わくわくした気持ちを抑えきれず、隣を歩くくんの腕を引っ張った。くんは「仕方ないな」と言ったような笑顔でマジックを手に取る。
「なんて書くんだ?」
くんとずっと一緒にいられますように、って」
「去年と同じだ」
 くんはくすくすと笑いながら、黒のマジックで躊躇うことなく短冊に願い事を書いていく。
「……くんも同じじゃない」
 くんの短冊に書かれた願い事は、「とずっと一緒にいられますように」というもの。去年送ってくれた画像とまるで同じだ。
「これが一番だから。は違う?」
「わたしも……同じだから、去年と同じこと書いたの」
 くんは笑顔で頷くと、ふたつの短冊を隣に下げた。風が一筋吹いて、ひらひらと揺れている。
「今日は珍しく晴れらしい」
「天の川見えそうだね!」
「ああ。でも」
 くんは繋いだわたしの手に唇を寄せる。手の甲に息がかかって、少しだけくすぐったい。
「俺たちはもう、いつでも会えるから」
 くんの声が、言葉が、胸に沁みていく。わたしは思わずくんに体を寄せた。
「うん!」