恋せよ乙女



 恋する乙女は大変なのだ。
 土曜の夜、スマホとにらめっこをし始めて早一時間。画面はずっとチャットのトークルーム。この一時間ずっと誰かと話をしているわけではない。ただ、送る文面を書いたり消したり、書いたり消したり、書いたり消したり。悶々と考えていたらいつの間にか一時間もたっていた。
 トークの相手はくん。高校のクラスメイトでわたしの友人。そして、わたしが想いを寄せる相手だ。
 明日の日曜日、くんと会えないかと思いずっと誘い文句を考えている。「明日会えない?」これじゃストレートすぎて恥ずかしい。「一緒に勉強しない?」何度か一緒に勉強してるからこれはありだろうけれど、テスト前でもないのに? と聞かれたら答えに詰まってしまう。「映画でも見に行かない?」これじゃ「明日会えない?」と同じぐらいストレートなデートのお誘いだ。それに今上映しているもので見たい映画がない。見たい映画がないのに誘うなんておかしいだろう。
 別にそこまで深く考えなくてもいいのかもしれない。でも恋する乙女はどうしたって考えすぎてしまう。変に思われないかな、嫌われたりしないかな。何度も文面を書いては消し書いては消し、延々と文章を考える。
「モルガナちゃんに会いたいから、明日ルブランに行ってもいい?」
 これならどうだ。モルガナちゃんを利用しているようだけれど、モルガナちゃんに会いたいのも本音だ。よ、よし。これで行こう。うん、大丈夫。きっと変には思われないはず、たぶん。急だから予定があって断られるかもしれないけれど、そのときはそのときだ。
 おそるおそる画面の送信ボタンを押す。お、送ってしまった。大丈夫かな。変に思われないかな。そわそわしていると、意外なことにすぐに既読マークがついた。
「大丈夫」
 くんからの返事を読んで、安心してイスの背もたれに倒れ込んだ。よかった、変には思われなかったみたいだ。しかも休日の明日もくんとモルガナちゃんに会える。
 スマホを抱きしめて喜んでいると、くんから続けてメッセージが届く。
「少し掃除とかしたいから、昼過ぎでいい?」
くんの都合のいい時間でいいよ!」
「じゃあ二時でいいかな。四茶まで迎えに行くから」
 四茶駅からルブランは近い。迎えに来てもらわれなくてもひとりでいけるのだけれど、わたしはくんの言葉に甘えることにした。だって、そのほうがほんの少しだけれど長く一緒にいられるから。
「じゃあ、二時に駅でね」
 わくわくしながらそう送ると、またすぐにくんから返事が来る。
「モルガナも楽しみにしてるって」
 モルガナ「も」。も、ということは、くんも? あ、いや、わたしが楽しみにしているのが文面から伝わっていたのから「も」と言ったのかもしれない。
 そわそわしていると、続けてくんからメッセージが来る。
「もちろん俺も」
 まるでわたしの考えが伝わったかのような言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
 くんが、明日わたしに会えることを楽しみと言ってくれている。嬉しくて嬉しくてどうにかなってしまいそう。
「わたしも楽しみだよ」
 震える指でそう送ると、くんから「また明日」と返ってくる。同じように返して、スマホをぎゅっと握りしめた。
 明日、楽しみだな。







 日曜日、待ち合わせの五分前に四軒茶屋の駅に着いた。すでにくんは改札前で待っていて、わたしは慌てて彼に駆け寄る。
「ごめん、待った?」
「ううん、まだ時間前だし」
 くんは腕時計を確認しほほえみを向ける。
 わ、このやりとり、なんだか恋人同士みたい。こんな小さなことに、いちいち心臓が鳴って仕方ない。
「モルガナちゃんは?」
「家で待ってる。結構お節介だから」
 お節介? 首を傾げているうちに、あっという間にルブランに着いた。カランとドアベルの高い音が鳴って、中にいる惣治郎さんがこちらを見た。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
「ああ、なるほど。彼女が来るから今日は手伝えねえって言ったのか」
 惣治郎さんの言葉に、かあっと頬が熱くなった。彼女って、彼女って!
「ちが、違います! あの、くんは友達で!」
「そうなの? よく来るからてっきりそうかと。……ああ」
 惣治郎さんはくんの顔を見ると、からかうような笑みを見せた。
「邪魔して悪いね、ごゆっくり」
さん、行こ」
 振り向いたくんはすでにいつもと変わらないクールな表情だ。まだ慌てているわたしとは大違い。でも、くん、惣治郎さんにはどんな顔を見せたのだろう。あのときくんの後ろにいたわたしには見えなかった。今考えてみてもわかるはずはないのだけれど。
 ルブランの階段を上がると、モルガナちゃんがソファで丸まっているのが目に入る。「おみやげだよ」と言ってちょっといいカリカリの袋を取り出すと、モルガナちゃんは一目散に駆け寄ってきた。
「ごめん、わざわざ」
「ううん、いいの。前もおいしそうに食べてたから、お気に入りなのかなって」
 足下でごろごろと喉を鳴らすモルガナちゃんの頭を撫でる。ふわふわで温かい。癒されるってこういうことだ。
「モルガナちゃん、かわいい……」
 ため息とともにそんな言葉が漏れ出てしまう。口実のようにしてしまったけれど、モルガナちゃんに会いに来たのも本当だ。学校にもくんが連れてきているから会えるけれどおおっぴらには撫でられないし、こういう機会がないとモルガナちゃんと戯れられない。
 モルガナちゃんって本当に可愛い。毛並みも綺麗でお行儀もよくて、とってもいい子。モルガナちゃん、大好き。
「あ、そうだ。くん、モルガナちゃんの写真って持ってる?」
 持っているのならぜひとも一枚送ってもらいたい。そう思って聞いたのだけれど、くんには「撮ったことないな」と返されてしまった。
「そっかあ……残念」
「なんなら今撮る?」
「いいの?」
「どう、モルガナ?」
 モルガナちゃんはくんの問いかけに高い声で返す。どうやらOKということらしい。
「いいってさ」
「ありがと、モルガナちゃん。じゃあ早速……」
 鞄からスマホを取り出してカメラを起動すると、モルガナちゃんはさっとわたしの足下から跳ねてくんの肩へと飛び乗った。
「……モルガナちゃん?」
 このままモルガナちゃんを撮ったらどうしたってくんが一緒に入ってしまう。それはそれで嬉しいことではあるけれど、でも、それって。
「モルガナ? どうしたんだ?」
「ニャア!」
「……早く撮れって言ってる」
 くんはまるでモルガナちゃんの言葉を代弁するかのように話す。撮れ、って。いいのかな。くんも駄目って言ってないし、いいのかな。
 おそるおそるカメラを構えると、画面の中にモルガナちゃんとくんが入る。モルガナちゃんの可愛いフォルム。そしてくんの長いまつげに猫のような目、通った鼻筋。綺麗な顔。
 震える指で、シャッターを切った。
「撮れた?」
「う、うん。ありがとう」
 撮り終えるとモルガナちゃんは颯爽とくんの肩から降りた。まるでわたしにくんの写真を撮れと言わんばかりの行動だ。
 撮れた写真を見つめると、くんとモルガナちゃんのアップが写っている。うわ、どうしよう。こんな形でくんの写真を手に入れてしまった。これから見ようと思えばいつでもくんの写真を見られるなんて、こんなに嬉しいことはない。ちゃんとロックをかけておかなくちゃ。
「そんなにモルガナが好き?」
 画面の写真をじっと見つめていると、くんがそう聞いてくる。
「ずいぶん熱心に見てるから」
「あ、えっと……うん」
 モルガナちゃんのことは大好きだ。でも今写真を熱心に見つめていた理由は、写真の中のくんを見ていたから。とは言えそんなことをくんに言えるはずもない。わたしは「うん、可愛いよね」と答えることにした。
 しかし、くんから返ってきたのは意外な言葉だった。
「少し妬けるな」
 くんの言葉に、ぱっと顔を上げた。妬けるって、誰が? 誰に? いや、こんな都合のいい話、もしかしたらわたしの幻聴かもしれない。
「あっ」
 悶々としていると、モルガナちゃんはすっと階段を駆け下りていってしまう。こんな空気で、ふたりきりなんて、そんな。
「……モルガナ行っちゃったけど、どうする?」
「え?」
「モルガナに会いに来たって言ってたから」
 そうだ、今日わたしはモルガナちゃんに会い行ってもいい? と言ったのだからモルガナちゃんがいなくなったらその口実はもう終わりなのだ。
「俺はもう少しいてほしいんだけど」
 くんはまっすぐわたしを見つめてそう言った。貫かれるかのような視線に、わたしは考えるより先に言葉が出る。
「わ、わたしも、もう少しいたい」
 震える唇で放った言葉は弱々しくてかすれていた。けれど、くんはそんなおかしな声を聞いても優しく微笑んでくれている。
「うん、よかった」
 くんの声は心なしか弾んでいる。
 モルガナちゃんに妬いたり、もう少しいてほしいって言ったり。ねえ、くん、それって期待してもいいってこと?