きみだけのコーヒー



 三月中旬、閉店後の静まったルブランに、の淹れたコーヒーの深い香りが広がる。
 今日はが作ったブレンドコーヒーを、惣治郎が評価する日だ。惣治郎がカウンター越しにの作業を見守っていれば、すぐにのオリジナルのコーヒーができあがる。
「どうぞ」
「おう」
 がカウンターに置いたコーヒーを、惣治郎はそっと自分のほうへ引き寄せる。
「香りは悪くねえな」
 惣治郎はから受け取ったカップに顔を近づけ、小さく頷いた。
 が少年院を出てから今日までの間、ルブランの閉店後にコーヒーの試行錯誤を繰り返していたことを、惣治郎はずっと見てきた。その成果が、目の前にある一杯のコーヒーだ。
 惣治郎は改めての淹れたコーヒーを見つめた。そして、そっとカップに口をつける。
「どう?」
「催促するな、味わわせろよ」
 急かすを、惣治郎は笑って制止した。もう一度コーヒーを口に含んで、ゆっくりと喉へと落としていく。
「ふむ……」
 苦みが強めだが、味全体のバランスはしっかりと取れている。後味もいい塩梅で口の中にふわりと残った。豆の種類や挽き方を、よく考えて組み合わせたのだろう。淹れるまでの工程も淀みがなかった。何度も練習してきたことが、よく伝わってくるコーヒーだ。
 惣治郎はカップをソーサーに置いて、ゆっくりと口を開いた。
「合格だ」
 言葉の直後にが小さくガッツポーズをするのが見えて、惣治郎はくすりと笑った。
 答えなんて、がコーヒーを淹れる前から出ていた。のコーヒーが客にも出せるものだと、誰より惣治郎が知っている。
「俺のより少し苦いが、カレーにも合うだろうな」
「俺のブレンドもメニューに加える?」
「調子に乗りやがって。……ま、おいおいな」
「でもそうしたらブレンドが二つになるな」
「ああ……名前でもつけるか」
 の言うとおり、すでに「ブレンド」として惣治郎がブレンドしたコーヒーがルブランの看板メニューの一つとして常連客にも知られている。のブレンドもメニューに加えるのなら、なにか名前をつけたほうがいいだろう。
「ルブランブレンド?」
「おいおい、それは俺のブレンドにしてくれよ。お前のは……」
「じゃあ、モルガナブレンド」
「猫の名前か。ははっ、悪くねえ」
 惣治郎の頭に浮かぶ、黒猫の姿。確かにこの味はあの猫のイメージに近いものがある。
「しかし、なんだ。俺はてっきり」
「てっきり?」
「彼女の名前でもつけるかと思ったが」
 惣治郎の言う「彼女」は、の恋人ののことだ。のクラスメイトでもある彼女はルブランにも頻繁に訪れており、惣治郎ともすっかり顔馴染みになっている。
 がルブランに来たときは、必ずがコーヒーを淹れている。のために、が豆の種類も淹れ方もこだわっているのを惣治郎はずっと隣で見てきたのだ。
「つけない」
「まあ、さすがにな」
 仲がよくても店に出すブレンドに恋人の名前をつけるのはな。惣治郎が笑って言おうとしたのもつかの間、がいつものポーカーフェイスのまま口を開いた。
のコーヒーは、ほかの奴には出さないから」
 当然のように言ってのけたに、惣治郎はぽかんと口を開いた。
「へえ……?」
「うん」
「じゃあ、これはあの子に出してるのとは別なのか」
「そう。専用だから」
 惣治郎は足を組み直して、あごひげをいじる。無頓着に見えるにも、独占欲のようなものはあるのだとわかって、ふっと惣治郎に笑みがこぼれる。
 なんだ、こいつも可愛いところあるじゃねえか。惣治郎は頬をゆるませながらカップを手に取り、「モルガナブレンド」を味わった。ああ、うまいなあ。飲み干したカップを飲み干すと、カランと乾いたドアベルの音が聞こえた。閉店後のルブランに来る人間は限られる。と同じ怪盗団の連中か、もしくは。
「こんばんは」
「よう、いらっしゃい」
 やはりそこにいたのは彼女……先ほどまで話題にしていた、の恋人だ。
「年寄りは退散するか。、ごちそうさん。うまかったよ」
 惣治郎の「うまかった」という言葉に、はぱあっと笑顔を見せた。も今日がテストの日だと知っていたのだ。
くん、よかったね!」
「うん。ありがとう」
「じゃあな。、コーヒー淹れてやれよ。特製のやつ」
「もちろん」
 がコーヒーを淹れる準備を始めるのを見て、惣治郎はルブランを後にした。
 これからは、世界でだけが飲めるコーヒーを飲むのだろう。世界でだけが見ることができる、のとびきりの笑顔を見つめるのだろう。温かな春風を感じながら、惣治郎は目を細めた。