夜空に光る
夏休みの終わり。もしかしたらくんに会えるかな、なんて淡い期待を胸にアルバイト帰りにルブランへ寄ってみた。
「よう、いらっしゃい」
ルブランのドアを開けると、中にいるのはマスターの佐倉さん、そしてテーブル席に壮年の男性がひとり。
「こんばんは……」
「あいつなら上だよ。ちょっと待ってな」
「えっ、えっ、あの」
「おーい、! さん来てるぞ!」
まだ一言も「くん」と言っていないのに、佐倉さんは二階のくんに向かって呼びかける。わたしはまるで心を見透かされたような気分になって、ひとりカンター席で頬を染めて俯いた。
「さん、いらっしゃい」
佐倉さんの声掛けから少し間を置いて、くんが降りてきた。
「あ……くん。突然ごめんね。たまたま近くを通りかかったから……」
その言葉は半分本当で、半分嘘だ。アルバイトから帰るために田苑都市線に乗って、地元の駅ではなく「わざわざ」四軒茶屋で降りたのだ。くんに、会いたくて。
「コーヒー淹れるよ。ちょっと待ってて」
「うん、ありがとう」
くんがコーヒーを淹れる様子を、わたしはじっと席に座って見つめた。
クラスメイトのくん。友達のくん。少しずつ話すようになって、仲良くなって、何度かこうやってルブランでコーヒーも淹れてもらった。一度だけ二階の部屋にもお邪魔したことがある、そうした日々の中で、わたしはだんだんくんに惹かれていった。
くんともっと仲良くなりたい。もっと近くで見つめていたい。小さな欲が、溢れてくる。
「はい、できた」
「ありがとう」
くんからコーヒーを受け取って、カップに口をつける。「おいしい」と口に出すと、くんは「よかった」と笑顔を見せてくれた。
「あれ……」
カップをソーサーに置くと同時に、外からドンという重低音が聞こえてきた。なんだろうとドアに視線をやるけれど、特に変化は見られない。
「なにかあったのかな。音したよね?」
「うん。……あれ、モルガナ」
「うにゃ~」
くんと顔を見合わせていると、二階からモルガナちゃんが降りてきた。モルガナちゃんは、にゃあにゃあとくんになにか訴えている。
「さん、打ち上げ花火やってるらしい。二階からは見えるって」
「え……」
「行ってみる?」
くん、今のでモルガナちゃんの言葉がわかったのだろうか……。ということはとりあえず置いておいて。打ち上げ花火がやっているなんて。それはぜひ見たい。
「み、見たい!」
「じゃあ上行こう」
「う、うん。あ、カップ」
慌てて鞄を閉めて抱えて、コーヒーがまだ途中だったことに気づく。飲みかけのカップをどうしようとあたふたしていると、佐倉さんが「いいよ、上持って行って」と声をかけてくれた。
「あれ、モルガナちゃんは行かないの?」
モルガナちゃんも当然二階で花火を見ると思っていたのに、モルガナちゃんはカウンター席の上で丸まっている。
「モルガナは来ないのか?」
「うにゃ~」
「……」
「ウニャッ」
くんはモルガナちゃんの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。「どうしたの?」と聞くと、くんは「モルガナはこういうこと気遣うから」と答えた。
「……?」
「上行こう。花火終わっちゃう」
「う、うん」
二階へ向かうくんを追いかけて、わたしも二階へ上がる。少し古い階段は、踏板を踏むたび小さく音が鳴る。
「わあ……」
ベッドサイドの窓から、花火の光りが漏れている。窓際へ近寄れば遠くではあるけれど夜空に花火が見えている。
「本当に花火だ。今日やってたっけ」
「ゲリラ的なやつかな? ここから見えるんだね」
くんと一緒に、窓際に椅子に腰かけた。窓にコーヒーカップを置いて、花火を見上げる。
「綺麗だね」
「うん……」
くんと二人、他に誰もいない部屋で花火を見上げる。夢みたいなシチュエーションに、胸がドキドキして仕方ない。
「ちょっと遠いけど、よく見える」
「ね……意外とルブランは穴場スポット?」
「そうかも」
ふふ、と笑いながら窓の外からくんへ視線を移すと、くんと目が合った。くんの深い瞳に、花火の光りが映る。
「いい場所でよかったな。下手に町に出るよりいいかも」
「そうだね」
「ここなら二人きりでゆっくり見れるし」
二人きり、という言葉にわたしの心臓が跳ねる。
「……くん、花火見れて嬉しい?」
「うん」
くん、ゆっくり見られるのが嬉しいのかな。それとも、二人きりが嬉しいのかな。
「わたしも……嬉しい」
わたしは、二人きりが嬉しいのだけれど。
「わ、大きな花火」
ひときわ大きな花火が上がる。思わず前のめりになって窓に手を当てると、くんの小指とわたしのそれが触れ合った。
「花火、綺麗だな」
くんは気づいているのかいないのか、じっと花火を見つめたまま。
「……うん。綺麗」
小指が触れたまま、わたしはくんの言葉に頷いた。触れた小指からわたしのドキドキが伝わってしまわないかな、なんて思いながら。
花火がまた上がる。この時間がずっと続いてほしいと、心から思った。