夢の続きを
とても幸せな夢を見た。
放課後、くんとともにルブランを訪れた。いつものように一階にいる佐倉さんに挨拶をして、くんの部屋がある二階へと上がる。
「コーヒー淹れてくる。待ってて」
くんは階段脇の机に鞄を置くと、軽やかな足取りで再び一階へと向かった。わたしはくんの後ろ姿を見送って、視線を彼の部屋へと戻す。
くんと付き合い始めてから約一ヶ月がたつ。この一ヶ月、早かったような、遅かったような。とても不思議な感覚だ。
ぼんやりとくんの部屋を眺めていると、今日見た夢が頭をよぎる。あれはとても幸せな夢だった。思い出しただけで頬が緩んでしまう。
「さん?」
「へっ!?」
ひとりでにやにやとしていると、いきなりくんの声が降ってきた。慌てて顔を上げると、コーヒーのカップをふたつ持ったくんが首を傾げている。
「なにかいいことあった?」
「え……」
「今日は朝からずっとそんな顔してるから」
くんの指摘に恥ずかしくなり両手で頬を押さえた。確かに朝から例の夢のせいでついつい表情が緩んでしまっていたけれど、くんにも気づかれていたのか。
「なにがあったの?」
「え、えっと……」
ええと、ええと。まさか本当のことを言えるわけもなく、わたしは言いよどんでしまう。そんなわたしを訝しんだのか、くんは首を傾げながら隣に座る。
「気になる」
「へっ」
くんはずいとわたしのほうへ体を寄せる。近くなった顔に、わたしの頬は一気に熱くなった。
「なにがあったの?」
また同じ言葉で問いかけられ、わたしは喉から言葉が出てこなくなってしまった。ええと、ええと。なんと答えればいいのだろう。ええと、ええと。
「教えて欲しい」
「あ、あの」
「なに?」
くん、まったく引く気が見えない。くんってこういうところがあるのだ。優しいくせに強引で、一度決めたら頑として動かない。そういうところも好きだけど。……いや、そういう話は今は置いておいて。
「え、えっとね」
「うん」
「えっと……」
「うん」
わたしは少しずつソファの端へと後ずさりするけれど、その分くんがじりじりと距離を詰めてくる。くんの揺れる前髪の向こうに、力強いグレーの瞳が光っている。
くんの目は鋭い。いつも真っ直ぐで真摯で、視線の先を射抜くほどに強い瞳。わたしはこの瞳が心から大好きで、そしてこの瞳に弱いのだ。
「あ、あのね……」
「うん」
「ぷ、ぷろ……」
「ぷろ?」
「くんに、プロポーズされる夢を……」
言った。言ってしまった。ついに言ってしまった。でも、くんの瞳に見つめられては、嘘は吐けない。
「プロポーズ?」
うう。くんの視線が痛い。恥ずかしくて居たたまれなくて、わたしは両手で顔を覆い俯いた。
「さん」
「う……」
「顔上げて」
くんの優しい声に、わたしはおそるおそる顔から手を外した。俯いたままくんを見上げると、彼はいつものように優しげな表情を浮かべている。おそらく真っ赤になっているだろうわたしとは正反対の穏やかな表情だ。
「どんなプロポーズだった?」
「えっ」
思ってもみなかった返しに、わたしは今度こそ顔を上げた。ぽかんと口を開けたままにしていると、くんはずいとわたしに近づいてくる。
「気になる」
「う……」
まただ。また、くんの鋭い瞳がわたしを射抜く。その目で見つめられたら、本当のことを話さざるを得ない。
「あ、あのね……」
「うん」
「ルブランの、一階で……」
わたしはゆっくりと、今日見た夢の内容をくんに話していく。
夢の中で、わたしとくんはルブラン一階のカウンターに並んで座っていた。お店の中にはわたしたちしかおらず、静かな時間が流れていた。夢の中にも関わらず、くんの淹れてくれたコーヒーがとても優しい味だったのを覚えている。
ふたりでおしゃべりをしていたときのこと。くんがカップをソーサーに置いた。わたしのほうを見て、ゆっくりと口を開いたのだ。
「結婚する? って、くんが聞いてきて……」
それはとても自然な言葉だった。ぼんやりとしていたら聞き流してしまいそうなほどの雰囲気の、あっさりとした口調。夢の中でもわたしは頬の熱さを感じていた。
「わたしが、うれしいって言って……」
感極まったわたしは両手で顔を覆い、そう答えた。
「こ、こんな夢でして……」
そこで夢は覚めた。わたしの返事を聞いたくんの表情を見ないまま。
「うう……」
夢の中と同じようにわたしは再び両手で顔を覆った。全部、話してしまった。恥ずかしい。恥ずかしすぎて顔から火が出てしまいそう。いや、顔の温度は間違いなく発火温度だろう。
「そっか」
「そ、そうです……」
「覚えとく」
「えっ」
思わぬくんの返しにわたしは慌てて顔を上げた。くんは涼しい顔で、横のテーブルに置いたコーヒーを飲んでいる。
「お、覚えとくって……」
「さあ?」
わたしがくんのプロポーズを受け取って、彼がどんな表情を浮かべるのか。それをわたしが知るのは、数年後のお話。