赤に染まる
アルバイト先のファミリーレストランが改装のために十日ほど休業になった。つまり、飲食店勤務ではできないネイルのチャンスと言うことだ。
「うーん……」
早速買ってきたネイルの瓶をリビングのテーブルに並べる。赤、ピンク、白、ゴールド……。調子に乗ってついたくさん買ってしまったけれど、色を組み合わせてもこんなには使い切れないだろう。ひとつひとつの瓶とにらめっこしながら顔をしかめる。
「、どうしたの?」
食器洗いを終えたくんが机の上をのぞき込む。「マニキュア?」と言いながら赤い瓶をひとつ手に取った。
「うん。しばらくバイトないからやろうかなーって思ってたけど……」
「けど?」
「うまく塗れる か不安で……」
勢い勇んで買ったはいいものの、高校時代からずっと飲食店勤務だったのでネイルはほとんどやったことがない。自分でうまく塗れるだろうか。
「特にこっちが……」
利き手と逆は特に不安だ。ムラになったりはみ出したり、悲惨なことになりそう。
「なるほど」
くんはわたしの手を取って指先を見つめる。あんまりじっと見つめているものだから、わたしは首を傾げた。すると、くんの口から思っても見なかった言葉が飛び出す。
「俺が塗ろうか」
「えっくんが!? やったことあるの?」
「いや、ないけど。行ける気がする」
くんは顎に手を当てながら一度大きく頷く。
確かにくんは器用だから、経験がなくてもわたしがやるよりうまく塗れそうだ。くんはどう塗ろうか考えているのだろうか、わたしの爪をなぞっている。
「じゃあ……お願いしようかな」
期待とほんの少しの不安を入り混ぜながら、くんにそう告げた。頼んだ理由は自分ではうまく塗れないからというのもあるけれど、恋人に爪を塗ってもらうなんて色っぽい雰囲気で少しの憧れがあるのだ。
わたしの高揚感とは裏腹に、くんはあっさり「うん、わかった」と言ってネイルの瓶を手に取る。
「どの色がいい?」
「うーん……お任せで!」
先ほども自分で選ぼうとしてどの色にするか結局選べなかった。せっかくなら客観的な意見を聞きたいところだ。
「責任重大だな」
「ふふ」
そう言いつつも、くんは迷わずに赤の瓶を手に取った。ハケの部分の液を何度か瓶のふちで調整すると、左手でわたしの指先に触れる。つ、と赤が薄く爪に描かれる。
もう一度くんはマニキュア液をハケにとり、わたしの爪を描いていく。優しく触れるくんの指がくすぐったい。薬指がほんの少し動いてしまって、くんはその指を小さく弾いた。
「こら」
「ふふ、ごめん」
「動くとマニキュア、べろーってなる」
「べろー?」
おそらくはみ出すと言いたいのだろう。くんの言葉のチョイスに笑みがこみ上げる。
「だから笑うなって」
「はーい」
きゅっと唇を結んで、じっとくんを見つめる。俯いたくんの前髪の隙間 から、真剣な瞳が見える。
鋭い視線が、わたしの爪の先へ向けられている。なんだか無性にドキドキして、小さく息を吐いた。ドキドキ、そわそわ。小さく跳ねる心臓の音は、指からくんに伝わっていそう。
右手の次は左手の爪が赤に染まっていく。くんが指を動かすごとにわたしの爪が明るくなる。自分の爪が彩られていくことが、こんなにも胸がときめくことだなんて。
「はい、できた」
「わあ……」
両手の指すべて塗り終わり、手を広げてじっと見つめる。やはりくんは器用だ。はみ出すこともなく綺麗にムラなく塗れている。
「ありがとう、くん」
「どういたしまして」
「あっ」
「ん?」
「一気に両手やるとなんにもできないね……」
ネイルが乾くまであまり手は動かせない。両手を一気に塗ってしまうとペットボトルの蓋を開けるのも一苦労だ。
「なんにも?」
くんはわたしの手首をそっと掴み、そっと顔を近づける。
「な、なんにも」
「そう、なんにも」
くんの顔が少しずつ近づいてくる。長めの前髪から覗く鋭い目は、先ほどと違い妖艶さをはらんでいる。制止しようにも手は動かせない。
「く……」
鋭い瞳が、目の前に。わたしは思わず強く目をつぶった。唇と唇が、触れる。
そっと目を開ける。目の前のくんは優しい笑みを浮かべてわたしの頬を撫でた。
「コップならなにか飲める? コーヒーとか」
「の、飲めると思う……」
「淹れてくる。待ってて」
「はい……」
キッチンへ向かうくんの後ろ姿を見送って、わたしはテーブルに突っ伏した。
視線の先には、くんが塗ってくれた赤のネイル。