甘い夜
二月十四日、バレンタインデー。今日は花屋のアルバイトも忙しい。数年前から流行りだしたフラワーバレンタインのおかげで、普段は来ない男性客で大繁盛。花束の注文もクリスマスに次ぐほどだ。
忙しかったアルバイトを終え、部屋で待つに「今から帰るよ」とメッセージを送る。
「お疲れさま! 待ってるね」
たった二つの文章からの高揚感が伝わってくる。シンプルな文面ではあるが、スマホの向こう側にの笑顔が見えるようだ。きっとは俺が帰ってくるのをスマホ片手にそわそわと待っているのだろう。
「なあなあ、、ワガハイの分もバレンタイン用意してるかな」
鞄から顔を出したモルガナの目はきらきら光っている。きっとがモルガナ用の寿司を買っていることを期待しているのだろう。
「毎年用意してるだろ」
「にゃ~!」
頭をぽんと撫でればモルガナは猫のような甘えた声を出す。は俺と付き合い始めたときから、ずっとモルガナの分のバレンタインも用意してくれている。がモルガナのことも大事にしてくれていることを、純粋に嬉しいと思う。
「トロ、あるかな」
「きっとある」
「にゃふ~!」
モルガナは鞄にしまったしっぽを大きく左右に振っているのか、膝にぺしぺしと小さな感触が走る。期待をするのはいいが、少しくすぐったい。
「オマエにはやらねえからな!」
「取らないって。俺にはちゃんと俺のがあるし」
がこっそりチョコレート作りの練習をしていたことも、ラッピング用の赤いリボンとブラウンの箱を棚に用意していたことも知っている。きっと今日俺がアルバイトをしている間にチョコレートを作っていたのだろう。
「の作るチョコか。なんか甘そうだな」
「世界一甘い」
「まだ食ってねえだろ」
「食べなくてもわかる」
そんなの当たり前だろう。が作ってくれたチョコレートが、甘くないわけがない。俺の即答にモルガナは呆れたようにため息を吐く。
「……オマエさ、本当のこと好きだよな」
「知らなかった?」
のことを好きだと思う。高校生の頃に抱いた想いは、今も色褪せていない。一緒に暮らし一番近くで俺たちの様子を見ているモルガナがそれを知らないはずがない。
「いや、知ってるけど……まあいいや。もきっとソレ、喜ぶぞ」
モルガナは俺の手にある花束を指さした。アルバイトの休憩時間に思い立って作ったミニブーケは、もちろんに贈るためのものだ。
「少しクサい?」
「泣いて喜ぶぞ」
かぶせるようなモルガナの言葉に、思わず笑みがこぼれた。泣いて喜ぶの姿が目に浮かぶ。
もともとバレンタインに花束を贈る予定はなかった。ホワイトデーはまた別だが、バレンタインはからチョコを受け取って、ちょっとしたお礼としていつもより豪華なウィンナーコーヒーを淹れる。そしてのチョコレートを頬張りながら、が嬉しそうに甘いコーヒーを飲む様子を眺める。それがいつものバレンタインだ。
花束を贈ろうと思ったのは、一週間ほど前にが「バレンタインデーに花を贈る男性が増えています」というテレビの特集をきらきらした瞳で見ていることに気づいたときだ。俺がその様子を見ていることを知らずに憧憬の感情を瞳に潤ませるを見て、「が喜ぶのなら」と思った。
「その花束、にぴったりだな」
「だろ」
白のトルコキキョウに、薄いピンクのガーベラとラナンキュラスをあわせた花束は優しく可愛らしい印象で、我ながらのイメージにぴったりと思う。花束を作っているとき、隣で店長が「可愛い彼女さんなのね」と言っていたのは少しばかりくすぐったかったが。
そうこうしている内にもう家だ。マンションの階段を上がり、部屋の鍵を回す。その音が聞こえたのか、ドアの向こうからはの足音が聞こえてくる。
「おかえり、くん!」
ドアを開ければが笑顔で迎えてくれる。花が咲いたようなその表情は手にした花束にそっくりだ。
「ただいま、はい」
「え……っ」
差し出した瞬間、は目を丸くしてすぐに瞳を潤ませた。頬をほのかなピンク色に染め花束に顔を寄せる姿を見れば、それだけで甘い感情に包まれれる。
甘い夜が始まるにおいがした。