カンパニュラの花言葉


大学生 春

 三月の終わり。東京都内、郊外の駅の改札口でわたしははやる気持ちをおさえながら人を待っていた。
「三十分に着く予定」
 少し前に届いたチャットのメッセージを確認するのは何度目だろう。三十分まであと三分、二分、一分……。時計の長針が六の数字をさして少したった後、お目当ての人物が改札から出てきた。
くん!」
 大きな荷物を抱えたくんはわたしの姿を見つけると右手をあげてその顔に笑みを浮かべる。
、お待たせ」
「待ちくたびれちゃった」
 あまりの嬉しさに、わたしは人目をはばかることなくくんに抱きついた。今日はくんが再び東京に来る日。それは遊びに来るわけではない。無事東京の大学に受かり、今日からこちらに住むことになったのだ。
 この一年間、ずっと待っていた。くんとまた一緒に過ごせる時間が来るこのときを。
「にゃあ~」
「モルガナちゃんも久しぶり」
 もちろんモルガナちゃんも一緒にこちらに住むことになっている。ペット可の手頃な物件を探すのはくんもずいぶん苦労したようだ。
「じゃあ行こうか」
「東口だっけ?」
「そう」
 くんと腕を絡めて、今日からくんが住むマンションへ向かう。部屋を決めるときわたしも一度連れて行ってもらったことがある。駅から徒歩十五分、少し古い代わりに日当たりのいいペット可の物件だ。
「坂本くんがルブランに住むかと思ってたって言ってたよ」
「さすがに佐倉さんに悪いし。でもいつでも泊まりに来いって言ってくれた」
 ルブランの鍵もまだ持ってるんだ、と言いながらくんは笑う。
「今度ルブランも行こう。またコーヒー淹れるよ」
「うん、楽しみにしてる」
 またいつでもくんのコーヒーが飲める。いつでもくんに会える。なんて幸せなことだろう。
 駅からマンションまでの道を歩きながらコンビニやスーパーの場所を確認したり、ルブランに似た雰囲気のお店を見つけたり。少し大きめの公園もあり休日の今日は家族連れで賑わっていた。
「少し寄ってく?」
「うん」
 滑り台にジャングルジム、ブランコと遊具も揃っているけれどなにより緑が多い。春らしく花壇に咲いた色とりどりの花たちに大きな桜の木。今年は暖かくすでにつぼみが咲き始めている。
「桜、綺麗だね。満開になったらもっとすごそう」
「ああ。お花見には事欠かなそう」
「いいなあ。満開って予報だと来週だよね」
「来週も来なよ。きっと綺麗だ」
 広いと言ってもただの街の公園、レジャーシートを敷いてのんびりお花見をするような雰囲気ではない。けれどベンチに座ってのんびり立派な桜の木を見たり、公園の中を歩いたりするお花見だって乙なものだ。
「モルガナちゃんも行こうね」
「ニャ」
 モルガナちゃんは鞄の中から顔を出して、わたしの誘いに頷いた。くんとモルガナちゃんと三人でお花見なんて、今からとても楽しみだ。
「そろそろ行こうか」
「うん」
 公園を出て再びくんの家へと向かう。途中にもう一件コンビニがあるからなかなか便利な立地なようだ。
「着いた。ここだ」
 ようやく着いたくんの新しい家。のんびり歩いていたらずいぶんと時間がかかってしまった。
 二階にある部屋にあがるとすでに家具はある程度揃っている。冷蔵庫に洗濯機、電子レンジとベッド。必要最低限のものしかない部屋の中で異彩を放つのはコーヒードリップの道具だ。くん曰く「これも生活必需品」とのこと。
「あれっ、モルガナちゃんどこ行くの?」
「この辺散歩してくるってさ。迷うなよ」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「にゃ!」
 モルガナちゃんは窓から飛び出すと、駅とは反対方向の方角へ歩いていく。モルガナちゃんもこの付近の様子を確認したいのだろう。
「バイトも探さないとな」
「渋谷のお花屋さんは? 辞めるとき戻ってきたらまたよろしくねって言われたんでしょ?」
「一応ね。多分社交辞令じゃないし、あんまり人いないっぽいからまた雇ってくれるかも。でもとりあえず大学の時間割決めないと無理か」
「それもそっか」
 くんがベッドの上に座るから、わたしも隣に座った。ころんと頭をくんの肩に乗せると、くんはわたしの髪にキスをする。
も大学受かってよかった」
「うん、せっかくくんがこっち来てもわたしが浪人してたら焦っちゃうもん」
「一年間寂しい思いをさせたと思うけど、これからはずっと一緒だ」
 くんの唇がわたしの唇に触れる。「ずっと一緒」、なんて甘い響きだろう。
「……くんも一年間寂しかった?」
「もちろん。今日をずっと待ってた」
 くんと離れた一年前のあの日、きっとわたしたちは大丈夫と思っていた。けれど会いたいときにすぐに会えない距離はもどかしく、泣いた夜も少なくない。それでもくんのことが好きだという気持ちは消えることはなかった。くんも同じ気持ちでいてくれたことをとても嬉しいと思う。
くんがいない間もね、ルブランによく行ってたの。佐倉さんにも絶対寂しがってるぞって言われて」
「寂しかったよ」
「わたしも」
 くんに体を寄せる。くんの体温と心音がわたしの中へ伝わってくる。
「こっちに来るたび、がこれつけてるの見て嬉しくなってた」
 ふとくんが触れたのはわたしのネックレス。去年のホワイトデーにくんからもらったものだ。
くんがいないときも毎日つけてたよ。これつけてるとね、寂しい気持ちが少し和らぐの」
 肌に直接触れるネックレスは、いつもくんが側にいると思わせてくれた。けれど、それでも。
「でも、やっぱり寂しかった。本当に、本当に会えて嬉しい」
 ゴールデンウィークも夏休みも、年末年始もくんは来てくれた。三連休にはわたしがくんの地元へ行ったこともある。それでもすぐ側にくんがいないことが寂しかった。これから毎日会いたいときに会える距離にいるなんて、幸せでどうにかなってしまいそう。
「新生活だからしばらくはふたりともバタバタするかもしれないけど、落ち着いたらふたりで遊びに行こう」
 今までの一年間は、くんと会えてもお互い受験生、あまり遊び歩くわけにもいかず、色気がないと思いつつふたりで勉強会をしていたこともあった。けれど、これからは大手を振って遊びに行ける。
「行きたいとこ、いっぱいあるの。また井の頭公園も行きたいし、上野の動物園も行きたい。あとね、デスティニーランドも。海浜公園も行きたいなあ」
「欲が多いな」
「多くもなるよ。だってくんがいつも一緒にいるんだよ? くんとしたいこと、いっぱいいっぱいあるの」
「俺も」
 くんはわたしを巻き込みながらベッドへと寝転んだ。真新しい柔らかいベッドで抱きしめあう。
「いっぱいあるけど、ゆっくり叶えていこう。時間はたくさんあるから」
「うん」
「手始めになにする?」
 その問いかけに、わたしは飛び上がって勢いよく答えた。
くんのコーヒーが飲みたい!」
 ずっとくんの淹れたミルクと砂糖がいっぱいのコーヒーを飲みたかった。くんがこちらに来たらすぐに言おうと思っていたぐらいだ。
「……牛乳、ないや」
「あ、そっか……」
「買いに行こうか。散歩がてら」
 くんは起き上がりわたしに手を差し伸べる。わたしはその手を取って、大きく頷いた。
「うん!」
 そうしてわたしたちは歩き出す。もう二度と、この手を離すことはない。