カンパニュラの花言葉
大学生 秋
秋の風物詩。紅葉、銀杏、金木犀。新米、林檎、月見団子。芸術の秋にスポーツの秋、食欲の秋……枚挙にいとまがない。昔から秋は好きだった。
だけれどこの風物詩だけはほんの少し眉を顰めてしまう。秋の長雨だ。この雨は先週の土曜からほぼ毎日のように降り続いている。おかげでくんと約束していた「井の頭公園に行こう」というデートの約束はお流れだ。
「はあ……」
さすがにこのしとどに濡れそうなほどに降る雨の中、ボートに乗る趣味はない。公園デートはなしになり、今日はくんの部屋で一日過ごすことになった。
窓を打つ雨の音にため息をつく。先月の終わりから休みの日はずっと雨模様だ。いつになったらわたしはくんと公園へ遊びに行けるのだろうか。
「ニャー」
「また雨だね」
足下に寄ってきたモルガナちゃんを撫でると、モルガナちゃんも残念そうな声で鳴く。モルガナちゃんもあまり雨は好きではないようだ。
「はあ……」
「またため息」
恨めしい思いで窓の外の雨を見つめていると、くんがカフェオレを持ってきてくれた。砂糖とミルクがたっぷり入ったわたしの大好きなカフェオレだ。
「だって」
「外に出られないのは残念だけど、家でのんびりするのも悪くない、だろ?」
「……うん」
くんの言うとおり、こうやってくんの部屋でコーヒーを飲みながら他愛もないおしゃべりをするのも素敵な時間だ。隣にいるのがくんだと思えば雨の音もロマンチックに聞こえてくる。
「映画でも見ない? 借りてきたのがあるんだ」
「うん」
くんと二人でテレビの前に座り再生ボタンを押す。小さな上映会の始まりだ。
くんが借りてきたにしては珍しい恋愛映画が始まり約一時間がたった頃、隣に座るくんが突然体を寄せてきた。どうしたの、そう聞こうとしてはっと口を噤む。
「……寝てる」
わたしの肩に寄りかかるくんは、目をつぶりすうすうと小さな寝息を立てている。こんなふうにくんが居眠りをするなんて珍しい。そういえばくん、今週はバイトが重なって忙しそうにしていたっけ。きっと疲れがたまっていたのだろう。無理に起こさず寝かせておいた方が良さそうだ。
「ニャー」
「モルガナちゃん、しーっ」
わたしたちの前に座っていたモルガナちゃんも、様子がおかしいことに気づいたのか心配そうな顔で振り向いた。
「くん、疲れてるみたい。寝かせてあげようね」
「ンニャ」
小声でそう伝えると、モルガナちゃんはちょんと後ろのベッドへ飛び乗った。どうしたのかと思っていると、モルガナちゃんは掛け布団をくわえて降りてきた。
「ありがとう」
十一月に入ってからぐっと冷え込むことが多くなった。今日のような雨の日は殊更だ。くんが風邪を引かないよう、モルガナちゃんから受け取った掛け布団でくんを包んでいく。
くんはまったく起きる様子がない。そんなに疲れていたのだろうか。今日は雨だからと外出を取りやめたのだけれど、くんはお疲れのようだし結果的に家デートになってよかったようだ。
「……綺麗な顔」
間近で見るくんの顔に、そんな言葉が漏れ出てしまう。誰にも、モルガナちゃんに聞こえないぐらいの小さな声だ。
くんの顔は綺麗だ。秀尽の頃は大きな眼鏡をしていたからよく見ないと目立たなかったけれど、とても端正な顔立ちをしている。通った鼻筋に長い睫毛、透き通るような白い肌。こんなに間近で見ても鑑賞に堪える美しさ。わたしがとりわけ好きなのは、意志の強さが表れたかのようなグレーの瞳なのだけれど、今は目を瞑ってしまっているから見えないのが残念だ。
ふと、心の底にひとつ欲が湧く。くんに触れたい、そんな欲が。
キスぐらいなら、いいかな。寝ているけれどしてもいいかな。戸惑いつつも、くんの唇に惹かれる気持ちが抑えきれない。
おそるおそるくんの唇に、自分の唇で触れた。二年前、付き合い始めたあの日から何度も重ねてきた唇は、いつの間にかぴったり合うようになってしまった感覚すらある。
高鳴る鼓動を感じながら、唇を離した、そのとき。
「わっ!?」
くんの腕が、突然わたしの腰のあたりに回る。そのままぐいと引き寄せられ、あっという間にわたしはくんの腕の中だ。
「起きてたの!?」
「半分。布団掛けてくれたあたりでちょっと目覚めてきて、でも眠いしせっかく掛けてくれたしこのまま寝てようかなって思ったけど、今ので起きた」
「う……」
それならば起こしたのは完全にわたしじゃないか。申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちで、わたしは思わず両手で顔を覆った。
「顔、隠さないで」
くんは顔を覆ったわたしの手をそっと外させると、露わになった唇にキスをする。一度だけじゃない。二度、三度と繰り返し。
「くん……」
「ん?」
「映画、だいぶ進んじゃった……」
くんがいつから寝ているかわからないからくんがどこから見ていないかはわからないけれど、わたしも映画から集中を外してしまってからだいぶたっている。音声だけ聞くにもうすでにクライマックスに入っていそうだ。
「本当だ」
くんはリモコンを手に取ると何度かボタンを押し十五分ほど前のシーンまで飛ばす。そしてわたしを後ろから抱きかかえるようにして座る姿勢で落ち着いた。
「……このまま?」
「嫌?」
「ううん」
この体勢をわたしが嫌がるはずもない。くんに寄りかかると、くんは掛け布団でわたしをくるむ。
「わ、あったかい」
「うん」
「モルガナちゃんも来る?」
寒さに弱いモルガナちゃんもお布団の中なら心地いいだろう。そう思い声をかけたら、モルガナちゃんはわたしでもわかるぐらいに嫌そうな声を出した。
「どう考えてもワガハイ邪魔者だろってさ」
「邪魔じゃないよ!」
くんの通訳に、思わず大きな声をあげてしまった。わたしがモルガナちゃんを邪魔と言うはずがない。くんに「でしょ?」と同意を求めると、くんは小さな笑みを浮かべながら「モルガナ」と呼びかける。
「おいで、モルガナちゃん」
「……ニャ」
てくてくとやってくるモルガナちゃんを掴まえて、わたしの膝の上に置き布団でくるむ。やはりここは暖かいようでモルガナちゃんもご機嫌の声を出した。
「あったかいね」
「ニャ」
「よかったな」
後ろにくん、前にモルガナちゃん、これで寒いはずがない。三人で終わりまでハラハラしながら見つめた映画はハッピーエンドで、心の底から暖まるようだった。こんな時間が過ごせるなら、秋の長雨も幸せの音になる。