カンパニュラの花言葉 一月
一月
くんは去年のうちに少年院に送られたと聞いた。少年院の場合、出所は通常では一年ほどらしい。面会ができるのは近しい親族と教師、保護司である佐倉さんぐらいとのこと。怪盗団のメンバーもわたしも、会いに行くことは叶わない。
初詣の時間も惜しんで、わたしたちはくんの無罪の証明のために奔走していた。くんの地元に赴いて当時の状況の聞き込みをしたり、くんが助けたという女性を探したり……時間はいくらあっても足りなかった。
今日は三島くんが渋谷の駅前でくんの逮捕に対する抗議の署名を集めているという。わたしもそれに協力するため学校帰りに一緒に渋谷へと向かった。
道行く人に頭を下げてもなかなか取り合ってはもらえない。しかし、そんなことは覚悟の上だ。少しでいい。たったひとりでもいい。抗議できる材料がほしいのだ。
「お願いします!」
頭を下げると、マフラーが首から落ちそうになる。地面に着く前に慌てて掴んで巻き直す。
クリスマスイブにくんからもらったマフラーだ。これをつけていると、くんが近くにいるような気になれる。頑張ってと、背中を押されている気持ちになれる。
「よし」
マフラーに右手で触れて、もう一度気合いを入れた。北風が寒いけれど、弱音なんて吐いていられない。くんはもっと大変なのだから。
「お願いします」
「あら」
ふと、五十代ぐらいの女性が足を止めてくれた。三島くんが作った署名用紙を見て彼女は表情を曇らせた。
「この子、冤罪で少年院に入っているの?」
「は、はい。そうなんです」
女性は暗い表情のまま、小さな声でぽつぽつと話し始める。
「……半年ぐらい前にね、この辺で高校生を狙った犯罪があったでしょう? うちの子も巻き込まれちゃってね……」
「え……」
「ああ、大丈夫だったのよ。直後に犯罪グループのボスが捕まったとかでね。でももしかしたらこの子みたいに捕まってたかもしれないのよね……」
女性は目を伏せると、丁寧な字で署名用紙に名前を書いてくれた。
「他人事とは思えないわ。頑張ってね」
「ありがとうございます!」
優しい笑顔を向けてくれる女性に頭を下げる。じわり、涙が浮かんできた。
くんが助けた人が、今こうやってくんを助けてくれている。その事実が、こんなにも胸に沁みる。
「、ちょっと休憩しない?」
三島くんに声をかけられ、わたしは駅前広場の花壇のヘリに寄りかかった。鞄に淹れていたホットのペットボトルはすっかり冷え切ってしまっている。
「三島くんのほうはどう?」
「まだ全然だけど、正直ゼロも覚悟してたからまあまあかな。ゼロと一じゃ全然違うし」
「うん、わたしもそう思う」
この署名が持つ意味など微々たるものかもしれない。いや、もしかしたらないかもしれない。けれど可能性があるのならなんにだって縋りたい。
「……三島くんって、その、怪盗団のこと、最初から知ってたんだよね?」
「俺? まあね。ちょっと噂になったけど、鴨志田に鈴井のこと抗議しに行ったとき俺も一緒だったからさ。タイミング的に怪盗団ってや坂本たち以外あり得ないってわかって」
「怪チャン運営してたのも三島くんって聞いたよ」
「そうそう。俺結構ネットは得意だからさ、怪盗団のこと手伝えたらなって思って。どうやってるのか知らなかったけど、俺には心を盗むなんてこと絶対できないからこういうことしか手伝えないし」
三島くんは空になったコーヒーの缶を強く握る。
「本当は、怪盗団のことうらやましいって思ったこともある。悪人を成敗して世間の注目を集めるヒーローなんて、ずっとずっと憧れてた」
「……うん」
「でもさ、特別な力なんてなくたって、きっと俺にもできることってあるんだ」
三島くんは、今までに見たことのないような明るい笑顔を見せる。決意を秘めた清々しい表情だ。
「怪チャンに書き込んだ人がさ、怪盗団に助けられたって知るとすごく嬉しくなるんだ。俺が直接助けたわけじゃないけど、俺が怪チャンを作ってなかったら、その人は声も上げられずにいたかもしれない」
「うん」
「俺たちみたいにただの人間でも、ほんの少しだけど助けられるやつはいるんだ」
「わたしも、そう思うよ」
きっとそうだ。わたしたちにはなにも特別なことなんてできないけれど、誰かを、くんを助けることがきっとできるはず。
くんだってそう。くんがたくさんの人を救えたのは特別な力があったからかもしれない。けれど、きっと彼は特別な力なんてなくたって、その手が届く人を助けていただろう。
「じゃ、もうちょっと頑張ろうか」
「うん」
休憩は終了だ。思っていたより署名は集まっているけれど、ゼロより一、一より二、二より十。多ければ多いほどいいのだ。
「お願いします! 友達を助けたいんです!」
三島くんは大きな声を張り上げて道行く人たちに署名を求めている。三島くんとは同じクラスだけれど、もっとおとなしいというか、あまり声を張り上げるタイプではないと思っていた。
懸命に声を上げる三島くんを見るとわたしの心も奮い立つ。わたしも負けじと声をあげた。
それからも三島くんと署名を集めたり、学校として抗議をするという川上先生の手伝いをしたり。そんな日々が続きいつの間にか一月も下旬にさしかかる頃になった。くんに関して現状進展はない。くんに最後に会った日から、もうすぐ一ヶ月だ。
少しだけ、ほんの少しだけ疲れたのは否定できない。小さな癒しを求めて、わたしの足は自然とルブランへ向かっていた。
すっかり慣れた四軒茶屋駅からルブランへの道のりを歩く。レトロな雰囲気の漂うこの街は、この一年ですっかりわたしのお気に入りとなってしまった。
「あれ……」
徒歩一分の道のりを歩いている途中、一匹の猫の姿が見えた。猫は銭湯のある区画へと入っていく。
「モルガナちゃん……!?」
その猫は黒い毛にしっぽの先が白い靴下猫、まるでモルガナちゃんのような模様だ。たまらずに猫の姿を追いかけて銭湯のある区画へと入った。
「あ……」
銭湯の入り口で猫は座り込みしっぽを振っている。よく見れば靴下と言うよりお腹側全体が白く、見間違いだったのかしっぽは真っ黒だ。この子は、モルガナちゃんではない。
「そうだよね……」
モルガナちゃんは消えたのだ。もうどこにもいない。わかっていたはずだ。
猫はわたしの気持ちを知ってか知らずか足下にすり寄って甘えてくる。鳴き声はモルガナちゃんにそっくりだ。
「餌はあげられないよ」
そう言いながら猫をゆっくりと撫でた。最初は背中全体を毛並みに沿って、そして次は顔の周りをこの子の機嫌を伺いながら。
「にゃ」
「もういいの?」
三分ほど撫で続けていると猫は満足したのか、壁の隙間から奥へと去って行ってしまった。
わたしは立ち上がり自分の手のひらを見つめた。まだふわふわの毛並みの感触が残っている。モルガナちゃんにそっくりなあの毛並み、思い出すだけで目が潤む。
「さん?」
突如名前を呼ばれ振り向くと、そこにはエプロン姿の佐倉さんがいた。
「ああ、やっぱり。そんなとこで何してんだ?」
「あ……コーヒー飲みに来たんです。そしたら猫がいたので、ちょっと撫でてたんです」
佐倉さんに気づかれないよう、顔を押さえるふりをしてそっと涙を拭う。佐倉さんは穏やかな笑みを浮かべながら「そうかい」とだけ答えた。
「……もしかして、もう閉店の時間ですか?」
「客も来ねえしそのつもりだったが、こんなかわいいお客さんが来たなら開けないわけにはいかねえな」
いらっしゃい、そう言いながら佐倉さんはルブランの扉を開けてくれる。すでに閉店しようとしていたというのに開けてもらうのは申し訳なかったけれど、お言葉に甘えることにした。どうしても今、ルブランに行きたい。くんも、モルガナちゃんもいない。少し疲れたこの心に、あの猫の姿はこたえてしまった。
「お邪魔します」
「ほい。いつもカフェオレだったよな?」
「はい」
佐倉さんがコーヒーを淹れている間、カウンター席に座り店内をぼんやりと眺めた。ルブランに来るときはいつもくんがいたから、今もカウンターの向こうから緑のエプロンをつけたくんが出てきそうなんて思ってしまう。
「さん、あいつのために頑張ってくれてるんだってな」
「佐倉さんも抗議してくれてるって聞きました」
「抗議ってほどじゃねえよ。保護司としてあいつが悪人だなんて思えねえからそれを伝えてるだけだ」
佐倉さんはぶっきらぼうな物言いをするけれど、声に優しさが満ちている。佐倉さんもくんのために尽力してくれているのだ。
「ほらよ、できたぞ」
「ありがとうございます」
佐倉さんからカップを受け取り口をつけた。コーヒーのコクが残っていながらミルクの甘みが強くて飲みやすい。少し酸味の強いコーヒーのようだ。
「おいしいです」
「ありがとうな。でも、あいつが淹れたほうがうまいだろ」
「え、そんな……」
「遠慮すんな。そういうもんだ。恋人が自分のために淹れてくれたコーヒーってのは、他の誰も敵わねえよ」
佐倉さんの言葉に、わたしは俯いてしまった。くんの淹れてくれたコーヒーの味が懐かしい。
「夏ぐらいからだな、あいつ、よく夜にひとりでカフェオレ淹れる練習してたよ。どのコーヒー豆が合うかも聞かれたな。最初はなんでいきなりカフェオレの練習してるんだって思ったが、さんのためだったんだな」
「くんが……」
ふと脳裏に浮かんだのはカフェオレを差し出してくれるくんの姿だ。いつも優しい味のカフェオレを淹れてくれていたけれど、練習していたなんて知らなかった。
じわり、涙が浮かんだけれどこぼれないように上を向いた。今はわたしなんかよりくんの方がずっとずっと大変なはずだ。わたしが泣くわけにはいかない。
「……なあ、さん。疲れたろ。たまにはちょっと休んでもいいんじゃねえか?」
「でも、くんは今も少年院で」
「そりゃそうだけどよ、あいつが出てきたときさんが倒れてたら意味ねえだろ」
佐倉さんは優しい口調で言葉を続ける。
「たまにはため込んだもん吐いてもいいってことだよ。吐き出さねえと押し潰されちまうぞ。喋るだけで楽になるかもしれねえし」
それは、いつかくんも言っていた言葉だ。その言葉に、ふっと心の糸が切れた。ずっと心に秘めていた言葉たちが唇からこぼれ落ちていく。
「……わたし、くんのコーヒーが飲みたいです。砂糖とミルクがたっぷり入ってて……少し甘ったるいぐらいのコーヒーで」
「ああ」
「あと、わたし、謝らなくちゃってずっと思ってて。クリスマスに最後ひどいこと言っちゃったから。謝っても許してくれないかもしれないけど、でも、ちゃんと言わないと」
わたしのたどたどしい言葉に、佐倉さんはただ頷いて返してくれる。余計なことを言わないその心遣いが嬉しかった。
「ちゃんと、話がしたくて……」
くんの淹れたコーヒーが飲みたい。くんにイブのことを謝りたい。ちゃんと顔を見て話がしたい。くんと、
「……くんに会いたいです……」
言葉と共に、涙が浮かんで落ちていった。コーヒーの水面に涙の粒が落ちて、波紋が広がっていく。
「……泣かせるなって、言ったんだけどな」
静かなルブランの中に、佐倉さんの声だけが響いた。