カンパニュラの花言葉 十二月


十二月

 十二月に入った頃には、世間は総選挙一色になっていた。あれだけ怪盗団に熱狂、そして批判していたというのに、もう怪盗団のことを話す人々はほぼいない。しかも選挙の話題と言っても話に上がるのはほぼ獅童議員の件だ。次期総理確実、日本を変えられるのは彼しかいない。ニュースでもそんな論調ばかり、選挙権のない高校生ですら獅童を積極的に支持しているほど。
 なにかがおかしい、そう思って仕方ないけれど、きっと怪盗団が改心に成功すればなにかが変わる。そう信じていた。

 週の半ば、学校が終わってからくんに呼ばれルブランにやってきた。下にいる佐倉さんに挨拶し、すぐに二階へと向かう。
「入るね」
「どうぞ」
「あっ、モルガナちゃん!」
 階段を上がると、階段横の机の上にいるモルガナちゃんが視界に入った。
「撫でたいって言ってたから」
「ふふ、ありがと」
 ソファに座るとモルガナちゃんはわたしの膝の上に乗ってくれた。背中全体を毛並みに沿って撫で、次は顔のまわり。喉の辺りを撫でるとモルガナちゃんは気持ちよさそうな声を出した。
「ナ~ア」
「なんて言ってるの?」
「な~って言ってる」
 くんのそのままの通訳にわたしは笑ってしまった。あれかな、マッサージされてるときに気持ちよくて「あ~」って声を出す感じかな。
 しばらく撫でていると、モルガナちゃんは立ち上がりわたしに向かって何度か鳴いた。くん曰く、「ありがとうな」と言っているらしい。
「こちらこそありがとうね。ふわふわで気持ちいい」
「にゃ!」
 モルガナちゃんは笑ったような表情を見せると階下へと降りて行ってしまった。
「どこか行ったのかな」
「街で情報収集したいって言ってたから駅前じゃないかな。その辺で話してる噂話とか聞きたいんだと思う」
「今日は異世界っていうのには行かなくていいの?」
 くんの話を聞く限り、十一月の終わりから目下獅童のオタカラを奪うためパレスとやらを攻略中のはず。攻略、と言ってもわたしはなにをしているのかさっぱりわからないけれど、一日二日で終わるものではないらしい。
「昨日も行ったから今日は休憩。毎日戦ってたら疲れるし、総選挙までに間に合わせればいいからあんまり焦らないようにしてる」
「失敗できないもんね」
 わたしの言葉にくんは小さく頷いた。
「竜司も杏も、祐介も真も双葉も春も……モルガナもみんな頑張ってくれてる。だから、大丈夫。きっとうまく行く」
 そう話すくんの瞳は力強い。きっと仲間のことを信頼しているのだろう。……いいな。ぽつり、そんな言葉が浮かんでしまった。話を聞く限り、怪盗団はこの八ヶ月の間に多くの苦難を乗り越えたようだ。そこにはお互いでしかわからない絆がきっとある。わたしの知らないくんがきっとそこにはいるのだろう。それが少し、うらやましい。
「頑張ってね」
 汚い感情を押し殺してそっとくんに体を寄せると、くんに肩を抱き寄せられた。くんとくっつくといつも心臓が高鳴る。トクントクンと鳴る甘い鼓動が心地いい。
「……くん、ひとつだけ変なこと言ってもいい?」
「変なこと?」
「わたしも……モルガナちゃんがなんて言ってるかわかるようになりたい」
 異世界のことを聞いた日から、ずっと思っていたことだ。異世界に行ってモルガナちゃんが喋っているのを聞けば現実世界でもモルガナちゃんの言葉がわかるようになるという。わたしもモルガナちゃんがなんて言っているのか理解できるようになりたい。
「それは……危ないところだし」
「うん……そうだよね」
「でも、獅童を改心させたら……いいかもしれない。メメントスにちょっと行って、モルガナが喋ってるの聞いてすぐに戻ればそんなに危なくないだろうし」
「いいの?」
 頷くくんを見てわたしの心は一気に躍る。もしモルガナちゃんの言葉がわかるようになったら、おしゃべりができるようになったら。それはどんなに楽しいことだろう。
さんがモルガナの言葉わかるようになったら、きっとモルガナも喜ぶ。モルガナ、さんのこと気に入ってるみたいだから」
「本当?」
「前に話したときはちょっとぼかした言い方しちゃったけど、モルガナ、猫って言わないから好きだって本当に言ってたよ。最初以外、ずっと言ってないだろ」
「うん。だって猫って言われるの嫌がるって聞いたから」
「そう。一度嫌だって言ったら繰り返さないようにしてくれるから嬉しいんじゃないかな」
「そっか……それなら、嬉しいな」
 わたしにとっては当たり前のことをしただけなのだけれど、それをモルガナちゃんが喜んでくれているのならとても嬉しい。気をつけてきてよかったと思う。
「じゃあ撫でるのも嫌がってないんだよね?」
さんは無断で撫でようとしないし、あと撫でるのうまいって言ってた」
「うまい……のかな」
 一応動物の撫で方を本やネットで調べたことがあるのでそれに倣ってモルガナちゃんのことも撫でているのだけれど、実際うまいかどうかは自分ではわからない。
「俺も気になる。撫でてみて」
「えっ」
 くんはずいと頭をわたしのほうへ押し出す。これは、もしや頭を撫でろと言うこと?
「に、人間の撫で方は知らない……」
「適当にやってみて」
「ええ……」
 これは撫でないと引き下がってくれなさそうだ。ドキドキしながらくんの頭へと手を伸ばす。くんのふわりとした癖のある髪の毛に、わたしの手のひらが沈んでいく。撫でろと言われても本当に撫で方なんてわからない。子供をあやすように右へ左へ軽く撫でるだけだ。
 くんの髪の毛にきちんと触れるのは初めてだ。ふわふわしている髪の毛の感触は、少し癖になりそう。
「ど、どうだった?」
「うん、気持ちいい」
 くんはふっと微笑むと、左手でわたしを抱き寄せる。右手で顎を持ち上げ唇を寄せた。そのまま二度、三度、キスを何度も繰り返す。
「あ、くん……」
「ん?」
「す、少し待って……!」
 キスをするのが嫌なわけではない。でも、こう、あんまり何度も繰り返されると心臓が爆発してしまいそう。
「待っての意味はどっち? 嫌だから待ってなのか、恥ずかしいから待って、なのか」
「え……」
「嫌だったらやめるよ、すぐに」
「恥ずかしいから、だったら……?」
 おそるおそる聞くと、くんは口元に弧を描く。
「やめない」
 その言葉に、わたしの顔は一気に沸騰しそうなほど熱くなった。今きっと、わたしの顔は茹で蛸みたいに真っ赤だろう。
「あああくんの意地悪!」
「そう?」
「意地悪だよ!」
「意地悪でいいよ。で、どっち?」
 くんは羞恥でバタバタと動いてしまうわたしの両手を掴んで、意地悪な笑みを向けてくる。たぶん、ここで「嫌」と言えば本当にくんはやめてくれるのだと思う。くんはそういう人だ。でも、わたしは、
「い……」
「い?」
「……嫌じゃない、です」
 わたしの答えを聞いて、くんは満足げな笑みを浮かべる。口角を上げたまま、彼の唇とわたしのそれが触れる。一度だけでなく、二度、三度、何度も何度も。
 恥ずかしい。恥ずかしいけれど、決して嫌ではない。心臓が爆発しそうなほどに痛くても、嫌ではない。
「……くんって、優しいけど結構意地悪」
「嫌いになった?」
「なるわけ、ないよ」
 付き合い始める前から好きだったところも、付き合い始めてから見えたところも、全部好き。知れば知るほど、くんのことを好きになる。
くんのこと、大好き」
 好き。大好き。くんが大好き。困っている人を放っておけないほどに優しくて、なにがあっても自分の芯を曲げないほどに強いくんが。
「俺も好きだよ」
 高鳴る心臓の音を飛び越えて、くんの甘い声が聞こえてくる。くんの声って不思議だ。芯の通った力強い声のようで、優しい甘美な響きもはらんでいる。
 くんの胸に体を寄せる。聞こえてくる心臓の音はどちらのものだろう。
「……
 鼓動の音に耳を傾けていると、不意に名前を呼ばれた。いつもと違うその呼び方にぱっと顔を上げると、くんはなんでもないような顔で「嫌だった?」と聞いてくる。
「ううん、嫌じゃない。嬉しい……」
 名前なんて家族からも友達からも何度も呼ばれてきた。それなのに、くんから呼ばれるととても特別で甘やかに聞こえてしまう。
「あ、あの……、くん」
 好きな人に名前を呼ばれるってすごく嬉しい。それはくんも同じかなと思い名前で呼んでみたけれど、想像以上に恥ずかしい。
「ま、待って! ちょっと待って!」
「うん」
 くん。くん。……うう、ダメだ。死ぬほど恥ずかしい。思わず両手で顔を覆ってしまう。
「……くん……」
「戻った」
「うう……ごめん。結構恥ずかしくて……」
「別にいいよ。呼びたいときに呼んでくれれば」
 くんは顔を覆ったわたしの両手をそっと外し、言葉を続ける。
「でも、名前で呼ばれると俺も嬉しい。それは覚えていいて」
「は、はい」
 それは暗に「近いうちに名前で呼んで」ということ。呼べる、のかな、わたし。今もこんなにいっぱいいっぱいだと言うのに。

 おしゃべりを楽しんでいる間に夜になり、わたしはもう帰る時間になった。くんは新宿の方へ行くという。
「出歩いて大丈夫なの?」
「死んだことになってるから探してくるやつはいないはずだし、一応目立たないようにはしてるから」
 目深にかぶったフードに触れながら、くんは続ける。
「新宿で記者に情報教えてもらったり、こっちのことを記事にしてもらってるんだ。怪盗団の活動の役に立つからこんなときだけど会いに行ってる」
「へえ……」
「ほかにもミリタリーショップの店長にモデルガン格安で譲ってもらったり、神田の教会で将棋教えてもらったり。意外と将棋の戦術って役立つんだ。やらなきゃいけないことたくさんあるけど、もう大詰めだ」
 くんはいつもずいぶん忙しそうにしているなと思っていたけれど、なるほど異世界に行っているだけではなくそういった情報収集や人脈作りをしていたのか。
「学校なくても忙しいね」
「まあ、それなりに。授業の時間はさすがに補導されそうだから出歩いてないし」
「……わたし、あんまり来ない方がいい?」
 忙しいのであればわたしと会う時間を取るのもたいへんだろう。そう思って聞いてみるとくんは突然うなだれた。
「どうしてそうなる……」
「え?」
「忙しいけど、今日会いたいと思ったからのこと呼んだんだよ。忙しくても、合間を縫って会いたいって思ってる」
 くんはそっとわたしを抱き寄せる。
「しばらくはどうしても会えない日があると思う。それでもできるだけに会いたいし、俺は別にが会いたがってるだろうからって誘ってるわけじゃない。俺が会いたいから、会おうって言ってるんだ」
くん……」
が思ってるより、俺はのこと好きだよ」
「……うん。わかった。ありがとう、くん」
 くんの言葉はいつも真っ直ぐだ。だからいつもわたしの心に突き刺さって、甘い痛みとともに残っていく。
「そろそろ行かないと、だよね」
「うん、名残惜しいけど」
「……頑張ってね」
「ありがとう。みんなにも伝えておく。応援されるとやっぱりやる気出るから」
 最後にキスをひとつして、ルブランを後にした。電車に乗って開いたのは怪盗お願いチャンネルだ。くん曰く、このサイトを運営しているのは三島くんとのこと。彼も怪盗団のことを知っているらしい。
 怪チャンのアンケートの「怪盗団は無実だと思いますか?」の問いにほとんどの人がノーと答えている。一時は怪盗団への賞賛や依頼で溢れていたコメント欄もめっきり書き込みは少なくなり、たまに書き込まれるメッセージも中傷や悪戯ばかり。それでもときどき、ほんのときどき、「今でも信じてる」という旨のメッセージが現れる。きっと怪盗団に助けられた人が書いているのだろう。
「頑張れ……」
 誰にも聞こえないような声でぽつりと呟いた。頑張って、怪盗団。わたしも応援しているし、わたし以外にも、応援している人はいるよ。

 総選挙が差し迫った十二月の半ば、獅童に対して怪盗団からの予告状が公開された。今までのような紙の予告状ではない。電波ジャックという奇想天外な方法だ。
 ついにこの日が来たのだ。獅童を改心させられれば怪盗団への嫌疑も晴れる。くんもコソコソと隠れずに済む。
「頑張って」
 チャットでくんにメッセージを送ると、少したってから「ありがとう」と返ってきた。決戦は、明日だ。
 迎えた十五日の夜、くんからメッセージが送られてきた。「成功した。きっとこれで大丈夫」と。続けて「明日よければルブランに来てほしい」と。「おめでとう、明日学校終わったら行くね」、そう返してその日は眠りについた。
 くんの言葉通り、獅童を改心させられたのならこれで安心できるはずだ。けれど、なぜかわたしはまだ不安な気持ちを拭えないでいた。

 その感情を肯定するかのように、街の雰囲気がどこかおかしい。今までは怪盗団の予告状が出ればお祭り騒ぎだったというのに、怪盗団が一度悪人として捕まったとは言えあまりに無反応だ。気もそぞろ、と言った表現が近いように感じる。
 そんな街の雰囲気に恐怖を覚えつつ、わたしはルブランに向かった。佐倉さんに挨拶をして二階へ向かうのももう慣れたもの。「いらっしゃい」と言うくんに「お邪魔します」と答えた。
「これで終わった……んだよね?」
「うん、そのはず。いつもオタカラ奪ってから改心まで間があるから、もうちょっと時間はかかるけど」
「そっか」
「うん、終わった……はず」
 くんは自身の手のひらをじっと見つめた。その瞳には不安の色が垣間見えて、くんも世間の雰囲気を感じ取っているだろうことがわかった。
くん……」
「……獅童は、地元で冤罪受けたときの相手でもあるんだ」
「え……っ」
「認知世界のシャドウだけど、ちゃんと認めたよ。自分がやったって」
「じゃあ、くんの冤罪は晴れるの?」
 わたしの期待の声に、くんは首を横に振った。
「どうだろう。一度出た判決ってそう簡単には覆せないみたいだから。でもいいよ。みたいに俺はやってないってわかってくれる人がいる。前歴があっても親しくしてくれる人もいる。それに、もう獅童はこんなことを繰り返さない。それで十分」
「十分、って……」
 本当にそれでいいのだろうか。くんはずっとずっと人のために動いてきて、警察から拷問のような尋問を受け廃人化事件の犯人からは殺されかけた。それなのに怪盗団として直接感謝されることもなければ冤罪が晴れることもない。そんなのって、なんだか……。
「十分だよ」
 その言葉に、わたしの方が落ち込んでしまう。くんはこんなに素敵な人なのに。傷ついても誰かのために立ち上がる人なのに。
「それでさ、近々また学校行くことになると思うんだけど、もうすぐテストだろ。最近の授業内容全然わからないし、教えてもらいたくて」
「あ……だからノート持ってきてって言ってたんだ」
「そう。こんなときでもテストなんて世知辛い」
「ふふ、確かに」
 くんの冤罪が晴れないことは残念だけれど、こうやって日常にくんが戻れるだろうことは嬉しい。またくんと一緒に帰ったり、学校帰りにどこかに行ったりできるのだ。

 迎えた十八日、選挙当日。大方の予想通り獅童は当選した。けれどその会見の場で彼は突如罪を告白し始め、中継は途中で終了となった。
 これで終わり。終わった、はず。それなのに、世間は獅童に対して憤る様子がまるでない。それどころか、「獅童がいなければどうすればいい」とまだ頼る始末だ。
 怪盗団のこともほとんど報道されない。あれだけ派手な予告状を出した後に獅童があんなことを言ったというのに、ニュースも世間も怪盗団の名前を出そうとしない。こんなの異常だ。明らかにおかしい。まるで世間全体が何かに操られているように感じる。
 怖い。なにが怖いか明確には言えないけれど、じわじわと何物かに侵蝕されているような恐怖を感じる。
 選挙翌日のニュースでも、獅童の自白のことも怪盗団のことも取り上げられない。淡々と選挙結果を伝えていくだけ。通学電車の中で聞こえる声も「獅童がいなくなったら終わりだ」なんて声ばかり。
 蒼山一丁目駅から学校までの道で、くんの姿を見つけた。今日からくんも無事登校開始なのだ。その姿にほっとして声をかける。
くん、おはよう」
「あ、おはよ……」
「あの……うまく行ったんだよね?」
 獅童が自白したということは、改心が成功したということのはず。そのはずだ。
「そのはず、なんだけど」
「……やっぱり、おかしいよね?」
 くんはわたしの問いかけに小さく首を縦に振った。
「仲間たちもおかしいって言ってる。ちょっと様子を見てみる。って言ってももうすぐテストだけど」
「うん……」
「何かあったら連絡するよ。も気づいたことがあったら言って」
「わかった」
 と言っても、特別な力など持たないわたしに気づけることなどあるのだろうか。頷いたはいいけれど自信はなかった。
 それからすぐに期末テストが始まった。相変わらず世間は未だに獅童に頼っている様子だ。それどころか怪盗団の存在自体がただの偶然と報道される始末。やはりおかしい。こんなことは普通ではない。
 スマホのニュースを見ながら脅えていると、くんから連絡が入った。
「やっぱり少しおかしいと思う。明日、メメントスで調査することになった」
 メメントス、というのは大衆のパレスというものらしい。そもそもパレス自体をよく理解していないのでメメントスの詳しいこともわからないけれど、この世間のざわつきの調査のためにまた怪盗団は動くようだ。
「わかった。気をつけてね」
「うん、ありがとう」
 くんからのメッセージを確認した後、壁に掛けられたカレンダーを見た。
「……明日、か……」
 明日は十二月二十四日。クリスマスイブだ。けれどもうそんなことを言っている場合ではない。
「……無事でいてね」
 ぎゅっとスマホを握りしめた。くんが、怪盗団が無事でありますように。特別な力なんて持たないわたしには祈ることしかできない。どうか、どうか。

 くんたちがメメントスに行っている間も、わたしはなにもできない。ただ、彼らからの連絡を待つだけだ。
 街全体が嫌な空気だ。思えば夏のメジエド退治で怪盗団が一躍人気者になったときから世論はいつも一方的に傾いていたように思う。空の色も心なしかくすんでいるように見える。暗い冬の空に、さらに靄がかかったよう。
 くんから連絡があったのは夜になってからのことだった。
「バタバタしててごめん。イブだし、もう夜だけど今から会えない?」
 文面を見てわたしは思わず立ち上がった。詳しいことは書いていないけれど、きっとうまく行ったからこのメッセージを送ってくれたのだろう。
「わたしも会いたい!」
「よかった。じゃあ、一時間後に渋谷駅で」
 くんからのメッセージを確認して急いで支度を始めた。お気に入りの冬服に着替えて街へ出る。クリスマスだからなにかプレゼントを買っておきたいと思い、ショッピングモールへと入った。なににしよう。男の人へのプレゼントなんてなかなか思いつかずに迷ってしまう。散々迷った挙げ句に買ったのはマフラーだ。くんの服はいつもシンプルなシャツやジャケットだから無地のマフラーにしておいた。くんは確かマフラーをつけていないから腐ることはないだろう。
 プレゼントを買っていたらもう約束の時間だ。急いで待ち合わせのブチ公前に向かうと、さすがクリスマスイブ。あたりはカップルでいっぱいだ。人混みの中ようやくくんの姿を見つけて駆け寄る。
くん!」
 名前を呼ぶとくんもわたしに気づく。こちらを向いたとき、くんがふっと笑顔になったのが嬉しかった。
「ごめんね、待たせちゃった。寒かったでしょ?」
「ううん、大丈夫」
くんっていつも先に来てるね」
「そう? そういえばそうか」
 前髪をいじるくんは少し照れくさそうだ。
「……全部、終わったんだよね?」
 町の様子は表面上は変わらないけれど、朝よりは落ち着いたような気もする。何よりくんがこうして誘ってくれたのだから、とりあえず一段落はしたのだろう。
「全部終わったよ。もう心配いらない。ちゃんと獅童の罪も立証されるはず」
「よかった……」
 ほっと安堵の息を吐くと真っ白だ。雪が降るほどに気温が低い。渋谷でホワイトクリスマスなんて何年ぶりだろう。
「疲れてないの?」
「多少は。でもクリスマスだから」
 くんはわたしの手をぎゅっと握った。冷たい手、どれぐらいわたしを待っていてくれたのだろう。
「イルミネーションが綺麗なんだって。見に行こうか」
「あ、くん待って」
 歩き出そうとするくんの手を引っ張り、鞄から先ほど買ったプレゼントを取り出した。本当は後で落ち着いたときに渡そうと思っていたけれど、この手の冷えようを思うと先にマフラーを渡したい。
「はい、これ」
「え……」
「本当は後で渡そうと思ってたけど、くん寒そうだから……」
「ありがとう。開けていい?」
 くんはわたしが頷いたのを確認し、丁寧に包装を解き始めた。どうしよう、自分から積極的に渡してしまったけれど、気に入ってもらえるかな。
「あ、マフラー」
「う、うん。いつもしてないなあって思ってたから。あの、もし趣味じゃないとかあったら」
「似合う?」
 くんはすぐにマフラーを巻いてみせる。シンプルなグレーのマフラーは、想像していたよりずっとくんに似合っている。
「すごく似合ってる!」
「よかった。俺もプレゼントあるんだ」
「え……」
 はいと言ってくんは紙袋を渡してくる。そっと中を開けると大きなチェック柄のマフラーが入っていた。
「マフラー……」
「お揃いだ」
「ありがとう……」
 くんは怪盗団のことで忙しかったしプレゼントがもらえるなんて思っていなかった。しかもこんな素敵なプレゼント。選んだものが同じというのも心を震わす。
 くんはわたしの手からマフラーを取ると、わたしの首に巻き付けた。
「うん、似合ってる」
「本当にありがとう。すごく嬉しい……」
 ぎゅっと首もとのマフラーを握りしめた。恋人からの、好きな人からのプレゼントはこんなにも嬉しい。
「そろそろ行こう。遅くなる」
 くんと手を繋いで行ったのは駅前に飾られたイルミネーション。一面に飾られたイルミネーションは見事で白や橙の優しい色がきらきらと煌めいている。
「綺麗だね」
「うん」
 イルミネーションは今まで学校帰りにだって見たし、なんなら去年もその前も見ている。それでも今見ている景色が今までで一番美しい。それはきっと、隣にいるのがくんだからなのだろう。
「わっ」
 くんは突然わたしの肩を抱き寄せた。ぽすんとくんの腕の中に体がおさまってしまって、どうにもくすぐったい。
「今日、と見られてよかった」
「わたしも」
 きらきら、きらきら。見慣れた渋谷の街がこんなにも綺麗に見える。昨日くんから怪盗団の仕事が残っていると聞いたときはイブに一緒に過ごせないことを寂しく思いつつも仕方ないと思っていた。けれど、こうして隣にいると本当に、本当に嬉しいと思う。
「そろそろルブランに行こうか。ケーキ買って行こう」
「……もう?」
「大分冷えてきたから。あんまり外にいると風邪引くよ」
「ん、そうだね」
 移動してしまうのは寂しいけれど、くんも疲れているだろう。あまり寒いところにずっといるのもよくない。それにルブランでひっそりふたりでクリスマスを楽しむのもきっと素敵だ。
 途中でショートケーキを二ピース買ってルブランへ入った。もう閉店した店内は冷え切っている。くんはすぐにエアコンをつけた。
「そういえばモルガナちゃんは? 上?」
 モルガナちゃんはいつもデートのときは気を遣ってふたりきりにしてくれるからいなくても不思議ではない。けれどだったらどこにいるのだろうとふと思った。部屋にいるのだろうか?
「……散歩してるよ」
「そうなんだ。今日は寒そうだね。でも猫じゃないから平気なのかな」
「いや、モルガナ寒がりだよ。でもきっと……今は大丈夫」
 濁すような言い方をするくんを不思議に思いながらテーブルの上にケーキを置いた。くんがコーヒーを淹れている間に、わたしはカウンターの中に入らせてもらいお皿とフォークを用意する。
「モルガナちゃん、服着るのとかは嫌がらない?」
「……どうだろ、やったことないから」
「寒がりならなにか服とかスカーフとか着られないかなって思って。今度聞いてみてくれる? 嫌じゃなければちょっと遅くなっちゃうけどクリスマスプレゼントにするよ」
「わかった、聞いておく。コーヒーできたよ」
「ありがとう」
 コーヒーを運んで席に着く。小さいけれどクリスマスパーティだ。
「メリークリスマス」
 そう言ってケーキに口をつける。うん、おいしい。さすがクリスマスの夜、ケーキもたくさん売っていたけれど一番おいしそうなものを選んでよかった。
「おいしいね」
「うん、よかった」
くんのコーヒーもおいしい」
 ミルクと砂糖がたっぷり入ったくんが淹れてくれたカフェオレ。わたしの大好きな味だ。
「よかった。佐倉さんも、もう教えることないなって言ってくれた」
「免許皆伝ってこと? すごいね!」
「ありがと」
「でも、だったらお金払わないとだね」
 今までは練習だからと言って無料で飲ませてもらっていたけれど、佐倉さんが認めた腕ならばきっちり商品としてのお金を払わなくてはいけないだろう。いつも食べさせてもらっているカレーも同じだ。
「恋人に淹れるコーヒーにお金取らないよ。は永久無料」
「永久?」
「うん」
 くんはさらっと言ったけれど、永久無料ということはずっとずっと、永久に恋人でいてくれるということだ。深く考えて言ったわけではないのかもしれないけれど、だからこそ心からの言葉のような気がして胸がぎゅっと締めつけられる。嬉しくて足を無造作に動かしてしまう。
「もうすぐ冬休みだね。初詣、一緒に行かない? 明治神宮は混むから……四茶の神社でもいいし、うちの地元でも」
「……うん、そうだね」
「あとまた井の頭公園行きたいな。ボートは寒そうだけど、一日動物園見て回りたい」
「うん」
「池袋のプラネタリウムもね、ちょっと気になるプログラムあるんだ。くん、プラネタリウムって好き?」
「好きだよ」
「じゃあ、一緒に行こう」
 今から冬休みのことを考えるだけで心が躍る。付き合い始めて初めての大きな休みだ。しかもくんはもう怪盗団の件は片づいたそうだから、きっと以前より時間もある。くんと、いろいろなところに行きたいと思う。
「あっ、でもくん年末年始は地元に帰る?」
「いや、帰らないよ」
「そっか、ならとりあえず初詣は約束ね。くんは今言ったところ以外に行きたいところない?」
が行きたいって話してるところだけでいっぱいだ」
「そうかもしれないけど……くんが行きたいところあればそこも行こうよ。井の頭公園は学校始まってからの日曜でも大丈夫だし」
「そうだね。でも……今はぱっと思いつかないな」
「そう? なら何かあったら言ってね」
「もちろん」
 くんは自分のコーヒーに口をつける。ソーサーに置くと乾いた音が静かな店内に響いた。コーヒーの水面を見つめた後、くんは再び口を開く。
「……そっち行っていい?」
 くんの問いかけにもちろんと頷くと、くんはわたしの隣に座った。肩と肩が触れ合うほどの近さだ。
「キスしたい。いい?」
「え、あっ、も、もちろん」
 あまりにストレートな言葉に一瞬おかしな声を上げてしまったけれど、断る理由なんてどこにもない。ゆっくり頷くと、くんはわたしの顎に指をかけ持ち上げる。キスをひとつ、ふたつ、みっつ。くんのキスはいつも一度では終わらない。息を忘れるほど繰り返すキス。ただ触れるだけのキスのはずなのに体が熱くなってくる。
「あ、くん待って……」
「待てない」
 わたしの制止の声を、くんはぴしゃりと遮った。言葉だけでなくその唇で。
「ん……っ」
 いつの間にかくんの左腕はわたしの背中に回り、右の手のひらは後頭部に添えられている。身動きができる状態ではない。
く、苦し……」
 キスの微かな合間ではまともな呼吸もできはしない。鼓動が早く脈打っていることもあって頭がくらくらしてきた。くんが唇を離した一瞬でかろうじて言葉を放つと、ようやくくんはわたしを解放してくれた。
「……くん、なにかあったの?」
 くんは意外とスキンシップが激しいというか、情熱的な面が今までも垣間見えていたけれど、今日はそれにしたって様子がおかしいように感じる。そう、あのとき。十一月にくんが生き残るための賭けをした直前の様子に似ているのだ。
「全部、終わったんだよね?」
 くんは全部終わったと言っていた。これでもう大丈夫だと。その言葉を信じたい。信じさせてほしい。もしもまた怪盗団のリーダーが……なんて報道があったら。それが今度は本当のことだったら。そんなこと、考えたくもない。
「終わったよ」
「本当に?」
「……うん」
 あ、目逸らした。くん、きっと嘘を吐いている。
「……終わってないの?」
「……終わったのは本当だよ。最後に少し、やらなきゃいけないことが残ってる」
「それは、なに?」
 自分でも驚くぐらいに低い声が出た。暗く、闇を打つような声だ。
 けれど、くんからはなにも返ってこない。ただ静寂が響くだけ。
「教えてくれないの?」
「……」
「それは……」
 考えるより先に、唇が動いている。からからの喉から、音が出て行く。
「わたしが、怪盗団の仲間じゃないから?」
 言葉を放った後に、はっとして口を手で覆った。けれどもう遅い。言葉は音となってくんに届いてしまった。
「……
「ご、ごめん」
 ずっと思っていたことだった。でも、言ってはいけないことだと思っていた。
 ずっと、怪盗団の仲間がうらやましかった。くんといつも一緒にいて、多くの苦難を乗り越えて絆を紡いだ彼らが。みんな、わたしの知らないくんとの思い出をたくさん、たくさん知っているのだろう。けれどそれはうらやんでいいようなことではない。わたしにだってくんが知らない友人や知人がいて、その間柄でしか知り得ない思い出だってある。人間関係とはそういうものだとわかっている。
 でも、それでもわたしは、十一月に話を聞いたときから怪盗団がうらやましくて仕方なかった。普通では経験し得ない事件や苦難を共有する彼らが。特別な力を持って、くんに頼りにされる彼らのことが。
「……ごめんなさい」
 鞄を掴んでくんを押しのけルブランのドアに手をかけた。こんな気持ちのまま、くんの隣にいられない。

 くんがわたしの腕を掴むけれど、わたしは顔をあげることができなかった。
「……ごめん、ごめんなさい。また明日、連絡するから」
 無理矢理くんの手を振りほどいて駅までの道を一気に走り抜けた。ホームに来ていた電車に飛び込んで、ドアのすぐ前でうずくまって泣いた。
 最低だ、わたし。本当に最低。あんなこと言うつもりじゃなかった。くんを困らせるだけだってわかっていた。それなのに、言葉がこぼれてしまった。
 くんはいつだって優しかったのに。十一月まで怪盗団のことを秘密にしていたのも巻き込まないためだった。きっと今回のことだってそうなのだろう。それなのに、わたしは。
 くんはわたしのこと優しくて強い人だって言ってくれた。でも、本当はこんなにどろどろした感情にまみれていて汚い。くんに認めてもらえるような人間ではない。
「……最低」
 明日、ちゃんとくんに謝ろう。今晩泣いて心を整理して、言葉を伝えよう。
 大丈夫、大丈夫。明日になったら、きっとちゃんと話せるようになる。だから、大丈夫。



 イブの夜は、なかなか寝付くことができなかった。二十五日に目を覚ましたのはお昼前だ。
 枕元で充電していたスマホを見るとチャットが来ていた。送り主の「」の文字を見て、メッセージを確認する手が止まる。
 もしかしたら、昨日のことでわたしに呆れてしまったのかもしれない。嫌われても仕方のないようなことを言った自覚はある。昨日のわたしは本当に最悪だったから。けれど、それでも嫌われたくないなんてわがままなことを思ってしまう。
 おそるおそるくんからのメッセージをタップする。そこに書かれていたのは、まったく予想していない言葉だった。


 ――獅童の罪を証明するために怪盗団のリーダーとして出頭する。少年院に入ることになると思う。


 わたしはスマホを握りしめて走り出した。行き先はもちろんルブランだ。扉にはクローズドの看板が下げられていたけれど構わずドアを開ける。そこには佐倉さんと泣き腫らした顔の同年代の女の子がいた。茶髪のロングヘア、おそらく双葉ちゃんだろう。
「あの……くんから、チャットもらって」
「ああ」
「少年院って、本当ですか」
 震える唇でやっと言葉を放つと、佐倉さんはおもむろに頷いた。
「さっき、検事さんと出頭しに行ったよ。まだ決まったわけじゃねえが、少年院はほぼ確実だろうな」
 その言葉に、双葉ちゃんと思われる少女はカウンターに突っ伏して嗚咽をあげた。本当、なんだ。ここに書かれていることは、すべて。
「そんなの……」
 なんで、どうして。くんは、やっと終わったと言っていたのに。もう大丈夫だって、言っていたのに。
「落ち着かねえだろ。少し上で休んでいきな」
「……はい」
 佐倉さんに促され、わたしはゆっくりと階段を上った。階上のくんの部屋は綺麗に整頓されていて、埃のひとつもないように見えた。階段横のテーブルには昨日わたしが贈ったマフラーが綺麗に畳まれている。
 いつも一緒に座っていたソファに腰かけて、もう一度くんからのメッセージを確認した。

「今日、獅童の罪を証明するために怪盗団のリーダーとして出頭する。少年院に入ることになると思う。いつ出られるかはわからない。
 昨日、異世界を消してすべてを終わらせてきた。でも獅童を立件するには異世界の証明が必要だ。俺の証言があれば罪をすべて証明することができるはず。獅童を立件できて、本当にすべてが終わるんだ。
 異世界で生まれたモルガナは、異世界と一緒に消えていった。だからもうモルガナもいない。モルガナのことも気を遣ってくれてありがとう。モルガナが聞いてたら、きっと喜んだと思う。
 嘘を吐いてごめん。話せなくてごめん」

 画面に涙が落ちた。ひとつ、ふたつ。涙が溢れて止まらない。
 なんで、どうしてくんが。くんはいつだって誰かのために行動してきたのに。あんなに優しい人が、どうして。
 わたしはうずくまって、ひとりで声をあげて泣いた。

 程なくして階下が騒がしくなってきた。お客さん……ではないだろう。きっと坂本くんや高巻さん……怪盗団のメンバーだろう。微かに聞こえる声からして、彼らもくんの出頭を今知ったようだった。
 きぃ、と階段が軋む音がする。「さん」と佐倉さんに呼びかけられ、涙を拭いどうにか「はい」と返事をした。
「もう昼過ぎだ。腹ぁ減ってないかい」
「……減らないです」
「そうか」
「……長居してすみません。なんだか……立てなくて」
「別にいつまでいたっていいさ」
 佐倉さんはマグカップをひとつ手渡してくれた。中身はホットミルクだ。佐倉さんの心遣いがありがたい。けれど、どうしても飲む気になれなかった。
「……獅童の罪って、くんじゃなきゃ証明できないんですか?」
「さあな。俺も異世界とやらのことはさっぱりだ。ただ……警察はそもそも怪盗団をよく思っていない。このままだと怪盗団全員捕まりかねない……だからひとりで出頭したって話だ」
「え……」
 そんなこと、チャットには書いていなかった。ただ獅童の罪を立件するためには怪盗団の証言が必要だからとだけ。怪盗団のメンバーが、なんてこと一言も書いてはいなかった。
「こんなときでも他人のことばっかりだな、あいつは」
くん……」
 佐倉さんの言葉が胸に刺さる。本当に、本当にそう。誰かを助けるとき、くんはいつだって見返りを求めることなんてなかった。怪盗団だってきっとそう。誰かを助けるためにやったことのはずなのに、どうしてくんが。
「怪盗団のやったことって、そんな……罪になることなんですか?」
「ああ。不法侵入や電波ジャック……あいつらが改心させたやつらに比べりゃ軽いもんだろうが罪は罪。それに、無理矢理改心させるってこと自体、本来は正しい手段と呼べるものじゃない」
「そんなの……」
「その上あいつは保護観察中だ。問題を起こしたら即少年院っていうのは承知の上だったはずだ」
 保護観察。その言葉に顔を上げた。
「そもそも保護観察になった事件だって女の人を助けただけで、くんは悪いことしてないのに」
 くんが東京へ来るきっかけとなった事件は完全な冤罪だった。くんはもう気にしていないと言っていたけれど、少年院送致となれば気にするしないの問題ではない。
「……そうだ」
 保護観察処分中の身で問題を起こして少年院、ということなら最初の事件が冤罪だと証明できたら?
「あの、佐倉さん」
「ん?」
「冤罪の証明ってできるんですか」
 以前くんに同じことを聞いたとき「難しい」と言っていた。「難しい」のなら「できる可能性はある」はずだ。
「ああ。あいつらも今その話をしてるみてえだ」
「あいつらって……高巻さんたちですか?」
「ああ。さんも下に来るかい」
 その誘いに、ほんの少しだけ戸惑った。下にいるのはみんな怪盗団の人たちだ。くんと苦楽を共にしてきた仲間たち。そんな場所に、わたしが入っていいのだろうか。
 ふと目に入ったのは、隣に置いた自分のマフラー。昨日くんからプレゼントされたものだ。
 わたしはこの一年で、くんに何を教えられてきた? 何をしてもらってきた?
 大きく息を吐いて、吸って、もう一度吐いた。心を決めて、声を出す。
「……行きます」
 戸惑っている場合じゃない。足踏みをしている場合じゃない。四月からずっと、わたしはくんに助けられてきた。今度はわたしが助ける番だ。
「ああ、みんな待ってるぜ」
 わたしには怪盗団のみんなのような特別な力なんてなにひとつない。けれど、くんがわたしを助けてくれたときだって特別な力で助けてくれたわけではない。ただの人間でも、ほんの少しの勇気できっと誰かを助けられる。くんが教えてくれたことだ。
 佐倉さんがいれてくれたホットミルクを一口含む。蜂蜜が入っているのかほのかな甘みが口の中に広がった。そのカップを片手にゆっくりと下へ降りて行く。ぎしり、ぎしりと音を立てながら。
「あの……」
 高巻さんたちに声をかける。みな真剣な表情で話している中に、もう一歩近づいた。
「わたしにも手伝えること、あるかな」