出会ったときの



  渋谷駅、ブチ公前。くんとの待ち合わせ時間まであと五分。少し早く着きすぎてしまったようだ。
 今日はくんと大学帰りにお外でご飯だ。一緒に暮らしているけれど、ときどきこうやって待ち合わせをすると無性に心が躍ってしまう。好きな人を待つ時間はどうしてこうも幸せなのだろう。
 スマホの時計を確認するのはもう何度目だろう。まだ先ほどから一分しかたっていない。くん、まだかな。早く会いたいな。一緒に住んでいるというのに、会えない時間を寂しいと思う。会える瞬間を心待ちにしてしまう。
 スマホのロック画面のモルガナちゃんと駅の入り口を交互に見つめる。きっともうすぐにくんは来るはず。
「ね、今暇かな?」
 スマホ画面に視線を落とした瞬間に、知らぬ声が降ってくる。ぱっと顔を上げると、そこにはやはり見知らぬ男性が立っている。スーツ姿だけれどふつうのサラリーマンには見えない。
「お金、欲しくない? いいバイトがあるんだけど」
 男性のこの言葉で、わたしはすべてを察した。これ、怪しいバイトの勧誘だ。渋谷でひとり歩いているとこういった勧誘にはまま遭遇する。
「いえ、興味ないです」
 大抵の場合、目線も合わせずにこう答えれば相手はすぐに引く。相手も脈のなさそうなひとりに時間をかけるより数を打ちたいのだろう。きっと目の前の男性もすぐに引くだろう。そう思っていたのに。
「そんなこと言わないでさ~話だけでも聞かない?」
「えっ」
 予想外の返答にわたしは小さく声を上げてしまった。興味がないと告げても引かないのは珍しいパターンだ。こういう場合は首を横に振り続けるより無視してこの場から離れるのが吉だ。スマホを握りしめ、顔を背けたまま駅の方へ向かおうとした瞬間、男性とわたしの間に影が現れる。
「ごめん、遅れた」
くん!」
 聞き慣れた声に顔を上げると、やはりそこにはくんがいる。くんが来てくれたなら怖いものはもうない。自然と頬が緩んだ。
「何かご用ですか?」
 くんはいつもより低い声を出しわたしと勧誘の男性の間に立つ。男の連れが来たのなら勧誘を押しても無理だと悟ったのだろう。男性は「すんません~」と軽い調子で退散して行った。
、ごめん。大丈夫だった?」
「うん、ただの勧誘だったみたい。でもくんが来てくれてよかった」
 今のはただのバイト勧誘だから放って置いても大事にはならなかったかもしれない。それでもくんが来てくれるだけで安心感が段違いだ。くんならきっとどんな人が相手でもわたしを守ってくれるだろう。
「何もなくてよかった」
「うん。ありがとう」
 お礼を言ったとき、ふと頭に昔の記憶が蘇る。あれは高二の春のこと。セントラル街で見知らぬ男性に絡まれていたとき、くんが助けてくれたのだ。
 そのときわたしとくんはただのクラスメイトで……。いや、ただのではない。くんはあのとき前歴持ちの転入生として有名で、わたしもその噂を信じ切ってくんのことを怖がっていたのだ。そんな中、くんはわたしを助けれくれた。わたしの中のくんの印象が変わった瞬間だ。
「どうしたの、ぼーっとして」
「あ……昔のこと思い出してたの。高二の春に、くんが渋谷で助けれくれたときのこと」
「ああ……懐かしいな」
 くんは少し目線を上にやる。ほんの少し頬を緩ませながら。
 あのときくんが助けてくれなかったら、わたしはどうなっていたかわからない。それにくんがこんなに優しくて素敵な人だと知らないままだっただろう。
「あのとき、助けれくれてありがとう」
 改めてあのときのお礼を言うと、くんは肩をすくめる。
「そんな今更。あのときだって何度もお礼言われたし」
「何回言ったって足りないよ」
 確かにあのときだってお礼は言った。それでも足りない。何度言ったって伝えきれないぐらいにそう思っている。
「そっか。どういたしまして」
 くんは微笑みながらわたしの手を握る。大きな手はわたしを包み込むようだ。
 その表情も言葉も、あのときと同じ。あのときもくんは微笑みながら「どういたしまして」と言っていた。自分のしたことは決して特別なことではないと言わんばかりの雰囲気だった。わたしはきっと、あのときくんと出会ったのだろう。初めて顔を合わせたのはくんが転入したときだけれど、本当のくんとの出会いの瞬間は間違いなくあのときだった。あのときからずっと、何度季節を越えようと、くんはわたしの心を捕らえて離さない。
くん、大好き」
 思わずそんな言葉がこぼれた。意識して口にしたわけではないのだけれど、感情が溢れてしまう。
「俺も好きだよ」
 くんはすぐに言葉を返してくれる。あまり自分から喋るタイプではないけれど、くんはいつだって想いを言葉にして伝えてくれる。
 昔のことを思い出すと、くんのことが好きだという想いがまるで褪せていないことに気づかされる。初めて出会った高二から、わたしはずっと

くんが大好きだ。むしろ日に日にその想いは強くなっている。そしてきっと、それはくんの同じなのだろう。
「モルガナにお土産買って帰らなきゃな。俺たちだけ外食じゃきっとすねる」
「ふふ、お寿司買って帰ろうね」
 くんとふたり、軽い足取りで歩を進める。繋いだ手は心をも繋ぐよう。
 また今日も、幸せな時間が過ぎていく。