花の名
※話の構成上P5主の名前をアニメ版に固定しています
「蓮って素敵な名前だね」
がそう言っていたのは付き合い始めてすぐの高二の秋のことだっただろうか。
「蓮の花って綺麗で凛としてて、雨宮くんにぴったりだよ」
綺麗、と表されるのは男としては少々喉に辺りに引っかかるものがあったが、褒められたこと自体に悪い気はしない。それまで強く意識してこなかった「蓮」という名前が少し誇らしくなったのはそのときからだ。
早いものであれからもう三年近くの時が過ぎた。と付き合い始めてからは様々なことがあったけれど、俺が大学進学で東京に戻ってきてから、とりわけ一緒に暮らし始めてからは穏やかな毎日が続いている。
今日もまたそんな一日の始まる。お互い試験期間も終わり夏休みに入った今、アルバイトの精を出す日々だ。特にのアルバイト先はファミリーレストランのため、夏休みはなかなかに忙しいらしい。
「ふあ……おはよう、蓮くん」
「おはよ」
その証拠に寝室から出てきたはまだ眠そうだ。今朝のコーヒーは少し濃いめにしたほうがいいだろうか。
「コーヒー飲むだろ。ちょっと待ってて」
「ん、ありがと」
は笑顔をこちらに向けると、リビングから続くベランダのカーテンを開けた。連日夏晴れが続いているが今日も例に漏れない。燦々とした陽射しが眩しい。
「あっ!」
眩い光に目を細めていると、が大きな声を出す。どうしたのと問いかけると、は嬉しそうに俺を手招きしてくる。
「蓮くん、咲いたよ!」
咲いた。その一言でが喜んだ理由を理解する。
「ああ、あれか」
コーヒーを準備する手を止めてと共にベランダに出る。端にそっと置かれた鉢に、綺麗に蓮の花が咲いていた。が春から育て始めていた花だ。
「咲いてよかった」
鮮やかに咲いた花を見ながら、は表情を綻ばせる。
『蓮の花を育てたい、蓮くんと同じ名前だから』
がそんなことを言ったのは春のことだ。そのときは驚いたものだが、こうして咲いた蓮を見ると純粋に胸が弾む。
「綺麗に咲いた」
「うん、蓮くんみたい」
「……そう?」
「うん!」
濁した言葉を返したけれど、は満面の笑みを俺に向けた。はこういうとき本当に素直だ。言葉から表情から、感情があふれ出ているよう。
「なんかね、蓮の花って凛としてて芯が強い感じがして……。それにね、蓮って泥の中でも綺麗な花を咲かせるんだって。名は体を表すって言うけど、蓮って本当に蓮くんみたい」
「べた褒めだな」
「べた褒めするよ、だって蓮くんのことだから」
は笑顔のまま言葉を続ける。
「高校生のときね、蓮くんのことを知るたびに蓮って名前は蓮くんにぴったりだなあって思って。あのとき憧れた蓮くんそのまま」
「憧れ?」
「うん。蓮くんと仲良くなっていくうちに、優しくて強い人だなあって思ったの。好きって思うより前に尊敬してたから」
は照れる様子もなく流れるように言葉を紡いでいく。憧れ、尊敬。聞き慣れない言葉たちにぽかんとしていると、は慌てた様子で「もちろん好きって気持ちが一番だからね!」と付け足した。
「尊敬とか憧れとかがあって、その上に好きって気持ちがどーん! って乗ってるって言うか……」
「わかるよ、ありがと」
慌てずともの気持ちは十分すぎるほど伝わっている。それになにより、そんな賛辞をもらって嬉しくないはずがない。
「そ、そう?」
「うん。嬉しいよ。が想い込めて蓮の花育ててくれてたんだなってこともよくわかった」
「うん……ちゃんと育てられるか不安だったけど、綺麗に咲いてよかった。写真撮っておかなくちゃ」
は嬉しそうにスマホのカメラを構えて蓮の花を何枚か写真に収める。途中リビングからモルガナが顔を出してきたので、モルガナを入れた写真も何枚か撮れたようだ。
「……でも三日ぐらいで散っちゃうんだよね」
ひとしきり写真を撮った後、は寂しそうに呟く。
「今から散るときのこと考える?」
「う……」
「ま、でも確かに寂しいな」
花屋のアルバイトをしているため、散る花はそれこそ腐るほど見てきた。しかし自分と同じ花が散る、しかもが育てたものが、と思うと今から心が蔭るような気分だ。
「できるだけ長持ちさせなくちゃ」
「ああ」
「あっ、そろそろ支度しないと。今日バイト午前からなんだ」
「そうだな。朝ご飯作るよ」
「ありがと!」
そう言ってベランダを後にして一日の準備へと戻った。窓の向こう、太陽の下で咲き誇る蓮の花を見ながらの朝の支度は心なしか手早く済んだように感じる。
しかし、「長持ちさせなくちゃ」というの言葉も虚しく、蓮の花は三日で散ってしまった。散った花びらを見つめるの横顔はひどく落ち込んでいて、見ているこちらまで胸が痛くなった。
その日、「明日のバイトが早いから」と言って先にが寝室に入ったところで、俺はリビングで作業を始める。
「なあ、なに作るんだ?」
「これ」
興味津々と言った様子でモルガナが近づいてくるので、俺はスマホの画面を見せる。
「はあん……オマエ、結構マメだよな」
「そりゃ、のことだから」
「ようし、ワガハイも手伝うぜ。作り方読んでってやるよ」
「悪いな」
机の上でモルガナがあれこれ指示を出すのを聞いていると、怪盗団をやっていた頃潜入道具を作ったときのことを思い出す。あのときに鍛えられた器用さで、目当てのものは思い通りに作ることができた。
とはいえ慣れない作業に明け暮れていたため、気づけばすっかり遅い時間になっってしまった。明日はきっとの方が早く起きるだろう。出来上がったそれを机の上に置いて、そっとと同じベッドに入った。
「……くん! 蓮くん!」
の高い声と、ゆさゆさと揺さぶられる振動によって目を覚ます。どうやらもう朝のようだ。
「ふあ……、おはよ」
「お、おはよ。ねえ、これ」
ゆっくりと起き上がった俺に、が差し出してきたもの。昨夜俺が作ったものだ。
「蓮くんが作ったの……?」
「うん、そう」
が両の手のひらでぎゅっと大切そうに握りしめているのは透明な瓶、その中には蓮の花びらでできたドライフラワーが飾られている。
「この一番上の、蓮の花びら、だよね」
「そう。蓮は散った後も花びら結構綺麗だから。バイト先から余った飾りとかちょっともらってきて作った。電子レンジ使えばすぐだし」
昨夜モルガナに手伝ってもらいながら作っていたのはこれだ。咲いたそばから花が散る心配をするを見たとき、なにかできないかと思った。俺と同じ名前だからと言う理由で蓮の花を大切に育ててくれたになにか返したいと思った。蓮の花まるごと……は難しいが、花びらだけならすぐにドライフラワーにすることができる。
「ドライフラワーも永遠ってわけにはいかないけど、これなら長く保つから」
「そっか……ありがとう、蓮くん」
は嬉しそうに微笑むと、瓶を手にしたまま俺に体を寄せる。昨日、俺がドライフラワーを作りながら思い浮かべていた表情そのままだ。その顔が見たかった。にはいつだって鮮やかな花のような笑顔でいてほしい。
「バイト遅れない?」
「あとちょっとだけ!」
「そ」
の肩を抱き寄せ額にキスを落とす。するとは応えるように俺の肩に頭を乗せて甘える仕草を見せた。ふわふわと頬に当たるの髪の毛がくすぐったい。
「……そろそろ準備しなきゃ」
「ああ。俺はもう一眠りしようかな」
「あっ、そ、そっかごめんね、蓮くんまだ起きる時間じゃなかったよね?」
つい興奮しちゃって……と頭を掻くは申し訳なさそうに身を縮こまらせる。俺は「大丈夫」と言っての頬を撫でた。
「ごめんね、おやすみ蓮くん」
「ん、行ってらっしゃい」
とキスを交わし、もう一度ベッドに入る。眠れる時間は一時間ほどだろうか。いい夢が見られそうな気がする。
目覚まし時計に起こされてリビングへ出ると、テーブルの上には蓮のドライフラワーが入った瓶と、メッセージカードが一枚。
『蓮くん、ありがとう。大好き!』
そんな短い手紙を読んで、俺はまた頬を緩めた。