満月の夜に
お風呂上がりにドライヤーをかけながらスマホを眺めていると、とある記事が目についた。
「明日は満月なんだ……」
ニュースというほどでもない、ほんのお知らせ程度のネットの記事。タイトルをタップして中身を見ても、明日の満月に特別な名前がついているわけではなさそうだ。
記事を読んでいると、くんが廊下のドアからリビングに入ってくる。くんもお風呂から上がったようだ。
「ねえくん。明日は満月なんだって」
くんにスマホの画面を見せると、くんはわたしのスマホをのぞき込む。
「へえ……。あ、でも明日は曇りだって」
「えっ」
「ほら、ここ」
くんが指さす画面上部には、明日の東京の天気が表示されている。明日の東京は曇りときどき雨の予報。満月を見ることはできなそうだ。
「なんだ、残念……」
「見たかった?」
「せっかくだから。でも満月は来月もあるよね!」
「切り替え早いな」
くんは笑いながら冷蔵庫から麦茶を取り出した。「わたしも!」と言えば、くんは「はいはい」と軽い調子でコップに麦茶を注いでくれる。
「ありがとう、くん。あ、そういえば、くん明日はバイト深夜までだよね?」
「うん。夕飯は向こうで食べるよ」
「わかった」
今週はわたしが食事の当番だ。明日くんがいないなら夕飯はどうしようかな。手軽にカップ麺で済ませてしまおうか。ぼんやりと考えながら、満月のことは頭の隅に置いて再びドライヤーのスイッチを入れた。
次の日の夜十一時。少し前にくんから「今駅に着いた」と連絡があった。きっとあと少しでくんは帰ってくるはず。大学の課題をこなしながら、わたしはくんが帰ってくるのを待っている。
「あれ……」
図書館から借りてきた本を片手にレポートを進めていると、机の上のスマホが着信を知らせた。着信の主はくんだ。さっき「今から帰る」と連絡があったばかりなのに、どうしたのだろう。なにかあったのかな。少しだけ緊張しながら、わたしはスマホを手に取った。
「もしもし、くん?」
『、月が見える』
くんは挨拶をすることもなく、開口一番にそう言った。
「月?」
『うん。今は晴れてるから満月が見える』
わたしはスマホを耳に当てたまま、慌ててベランダへと出る。夜空を見上げれば、そこには確かに満月が輝いていた。
「わ……本当だ。綺麗……」
暗い夜空にきらめく、まんまるのお月様。昨日の記事に書いてあったとおりの綺麗な満月だ。夜中のはずなのに、満月の光のおかげで明るい空気が広がっている。
『うん、綺麗だ』
「さっきまで雨だったのに」
天気予報通り、つい先ほどまでこの周辺では雨が降っていた。いつの間に晴れたのだろう。きっとくんが電話をくれなかったら気がつかないままだった。
「くん」
『ん?』
「ありがとう」
わたしが昨日満月の話をしたことを、くんは覚えていてくれたのだろう。ほんの世間話だったのに、覚えていてくれて、こうやってわざわざ電話をくれたことが、とても嬉しい。
夏の月は低く、手を伸ばせば届きそうなほど大きくて、胸がドキドキと高鳴って仕方ない。くんのおかげで見られた景色は、とってもとっても綺麗だ。
『どういたしまして。あ、見えた』
「えっ」
慌てて二階のベランダから下を見ると、マンション前の道路にくんの姿が見えた。満月の明るさのおかげで、くんの表情まではっきり見える。軽く手を振るくんの肩にちらちらと見える白いものはきっとモルガナちゃんのしっぽだ。
「あ、モルガナちゃんも見えるよ!」
『ふにゃっ』
「ふふ。二人とも、おかえりなさい!」
大きく手を振ってそう言えば、くんは『ただいま』と答えてくれた。
満月の明かりが、くんの優しい表情を照らしている。