二人分のチョコレート



『十四日、ルブランに行かない?』
 先日のくんの誘いの通り、バレンタインの今日、わたしとくんは大学の帰りにルブランに向かっている。四軒茶屋駅から歩いていれば、すぐにルブランの光が見えてきた。
「こんばんは」
 ドアを開ければ、ふわりとコーヒーの香りが漂う。いつものルブランの匂いだ。
「よう、いらっしゃい。道具は片づけてねえから好きに使え」
「ありがとう」
 くんはコートを脱ぎながら佐倉さんとそう話す。なんの話だろうと首を傾げていると、「コーヒーのこと」とくんが教えてくれた。
「じゃあ、俺はもう行くぜ。ごゆっくり」
「あっ、待って、待ってください!」
 佐倉さんが行こうとするので、わたしは慌てて鞄を開いた。中から小さな包みを取り出して、佐倉さんへ渡す。
「これ、バレンタインのチョコです」
「ああ、毎年ありがとうな」
「佐倉さんにはお世話になってますから!」
 それはこの一年の話ではない。高校生のときから佐倉さんにはお世話になりっぱなしだ。だからほんの気持ち程度だけれど、佐倉さんには毎年チョコを贈っている。
「じゃ、今度こそ行くよ。戸締まりよろしくな」
「わかってる」
「佐倉さん、また」
 ルブランを出る佐倉さんの後ろ姿を見送って、わたしはカウンター席に座った。
「コーヒー淹れるよ」
「うん、ありがとう」
 くんは慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める。わたしは足を前後に揺らしながら、その様子をじっと眺めた。
「家のよりルブランのほうがいい道具だから、おいしく淹れられる」
「そうなの?」
「豆も種類多いし」
 くんは話しながらコーヒーを淹れていく。コーヒーフィルターに挽いた豆を入れて、そっとお湯を注ぎ始める。トポトポトポ、と小さく響くお湯の音と、だんだんと広がっていくコーヒーの匂い。
 わたしはくんがコーヒーを淹れる様子を見るのが好きだ。淀みのない手つきで、流れるような手の動き。くんの手で丸い黒い豆から、まろやかなコーヒーが生み出される。丁寧で、優しくて、大きな手から生み出される魔法のよう。
「はい、できた」
「ありがとう!」
「それからこれも」
 くんは冷蔵庫を開けると、中からお皿を取りだした。色のついたケーキカバーのようなものが被さっていて、中身はわからない。
「バレンタインだから」
「え……」
 くんの言葉にドキドキしながらカバーを外す。そこにあるのは綺麗な形のトリュフチョコレートだ。
「え、え、なんで?」
「だから、バレンタイン」
 ええ、ええ!? バレンタインだからって、くんからチョコレートをもらえるなんて思っていなかった。
「これ、くんが作ったの?」
「そう。ルブランのキッチン借りて」
 くんが作ったトリュフチョコレートは綺麗な丸い形をしている。ココアパウダーの具合も絶妙で、とってもおいしそう。
「ありがとう……」
 呟きながら、わたしは自分の鞄を触る。
「わたしのチョコ、出しにくい……」
 くんからのチョコレートは、とてもうれしい。でも、今年のわたしの手作りチョコレートは器用なくんと比べると崩れた見た目だ。くんのを見た後だと、なんだか出すのは躊躇われる。
「なんで? 早く欲しい」
「で、でも」
「鞄の中?」
「あ、待って!」
 くんが鞄に手を伸ばしてくるから、わたしはトートバッグを抱えてそれを阻止した。
「ちゃんと渡す! 渡すから!」
「早く」
 くんは目をきらきらと輝かせてわたしを急かしてくる。こんなくんはなかなか珍しい。そんなに楽しみにしてくれているのなら、ちょっと恥ずかしいけれど、やっぱり贈りたいと思う。
「はい、これ……」
 おそるおそる、くんにチョコレートを渡す。ピンクのリボンと深い赤の包装紙で包んだチョコレート。くんに、喜んでもらいたくて作ったチョコレートだ。
「ありがとう」
 くんは受け取ると早速包装を解く。「これ、生チョコ?」と聞かれたので頷くと、くんはさっそく一粒口に運んだ。
「うん、おいしい」
「本当? よかった」
 くんはまたすぐにもう一つ口へ放り込む。本当においしいと思ってくれてるんだなあ。がんばって、よかった。
「わたしもいただきます!」
 くんが作ってくれたトリュフチョコレートを、ドキドキしながら口へ運ぶ。甘いチョコレートの味と、ココアパウダーのほんの少しの苦みが口の中に広がった。
「おいしい!」
「よかった。チョコ作るの初めてだから」
「とってもおいしいよ!」
 笑顔で告げれば、くんも微笑みを返してくれる。なんだか嬉しくて、またわたしは足を前後に揺らした。
「いきなりチョコくれるなんてびっくりしちゃった」
「ああ……佐倉さんが双葉にチョコ作ってたから、俺もやってみようかなって」
「へえ……」
、すごく喜んでくれそうだし」
 くんは右手でわたしの髪を撫でる。くすぐったくて目を細めると、くんのキスが降ってくる。
「すっごく嬉しいよ!」
 甘いコーヒーと、甘いチョコレート。くんがわたしのために作ってくれたもの。とってもおいしくて、幸せの味がする。
「俺も嬉しいよ」
 笑顔のくんを見て、渡すのを躊躇ったことが馬鹿らしく思えた。くんなら絶対喜んでくれるとわかっていたはずなのに。
 わたしたちはもう一度キスをする。チョコレートの甘さとキスの甘さで、心が溶けてしまいそう。