年上の幼なじみ/1
大学三年生になって半月がたった頃。突然親からかかってきた電話に、わたしは仰天した。
電話の内容は、昔住んでいた土地で隣に住んでいた四つ年下の男の子が東京に来るというもの。それ自体はそこまで驚くものではない。わたしが驚いたのは、その子が来る理由だ。
「保護観察……!?」
その言葉に耳を疑った。彼は傷害罪で逮捕され保護観察処分に。転学転居を命じられ、知り合いのつてを頼って保護観察が終わるまで東京で暮らすことになったと。
記憶の中にある彼は、優しい子だった。最後に会ったのはわたしが親の事情で引っ越す前……七年も前のことだけれど、誰かがいじめられているのを見れば必ず止めに入るような子だった。彼が傷害罪なんて信じられない。親に問い返すと、「彼自身は無実を訴えている」とのこと。
親からの話はまだ続く。彼もきっと見知らぬ土地にひとりで来て不安だろうから、もしよければ気にかけてほしい、会いに行ってあげてほしい。そう言った話が、彼の親からわたしの親へあったそうだ。
わたしはすぐにその頼みを快諾した。もう七年間も会っていないとは言え、わたしにとっては大切な幼なじみだ。しかも彼は無実を主張しているということは冤罪で故郷を追われたということになる。そんな悲しい話、手を貸さないわけにはいかない。わたしは親から彼のチャットのIDを教えてもらい、すぐに彼と連絡を取った。
それから約半月がたったころ、わたしは彼と待ち合わせをした。彼の住む四軒茶屋と通う秀尽学園との間である渋谷駅、ブチ公前で。
午後一時。待ち合わせの時間になると、前からひとりの男性がやってきた。癖毛に黒縁の眼鏡、少し野暮ったい印象だ。
「あの」
「はい」
「さん、ですよね」
「え……っ」
彼の口から出たわたしの名前に、大きな声を上げてしまう。わたしの名前を知っているということは、もしかしてこの彼が。
「くん?」
「そうです」
「う、うそ……」
想像していなかった幼なじみの姿に、わたしは口をあんぐりと開けてしまう。本当にこの人がわたしの幼なじみのくんなのか。
「嘘って」
「いや、だって……大きくなったね」
わたしの記憶の中にあったくんは小さく華奢で、目をくりくりとさせた可愛い男の子だった。それが今目の前にいる彼はどうだ。身長はわたしより高く、声も随分と低い。
「まさか小四のままだと思いました?」
「あ……いや、そういうわけじゃないけど。男の子ってすごい成長するね……」
さすがに小四のときそのままのくんが現れるとは思っていなかったけれど、それにしたってこの成長具合には目を剥いてしまう。ずいぶん……ずいぶん大人っぽくなったものだ。
「それは……さんも」
「そ、そう? 身長もたいして伸びてないんだけど」
成長したくんと違い、わたしは最後に会ったときから特に背も伸びていないし驚くような成長具合は見せていないだろう。女子の場合中二からではそうそう大きくは変わらない気がする。
「そうじゃなくて……」
「なくて?」
「いや……とりあえず行きましょう。昼ご飯食べるんですよね」
「うん。って言ってもファミレスだけど……ゆっくりお話しよう」
ね、と笑いかけるとくんはふいと顔を背けてしまった。昔はクールながらにこういうとき笑顔を返してくれていたのに、今は思春期だろうか。……いや、こういう状況だからだろうか。
もやもや考えながら、わたしたちはセントラル街のファミリーレストランに入った。日曜日のお昼時、混雑していたけれどタイミングがよかったのがすぐに席に案内された。
「さっきはびっくりしちゃって言えなかったけど……久しぶりだね、くん」
「七年ぶり?」
「うん。まさかこんな形で再会するなんて思わなかったけど……」
七年前の引っ越しの日、今にも泣きそうな顔で見送ってくれたくんの姿を思い出す。遊びに来るからね、なんて言っていたのに結局あれから会うこともないまま月日は過ぎていた。しかし、まさかくんが東京に、しかもこんな形で来ることになるなんて。
「……保護観察のことも知ってるんですよね?」
「うん……」
「よく会ってくれましたね。傷害で逮捕されたやつに」
「だって、くんはやってないんでしょう?」
わたしの言葉に、くんは眼鏡の奥の瞳を丸くする。
「くんはずっと無実を主張してたって聞いたよ。聞き入れてもらえなかったみたいだけど……」
「……はい」
くんは大きく瞬きをすると、手持ちぶさたな様子で水の入ったコップを手に取った。氷をからからと鳴らしながら、言葉を続ける。
「俺はなにもしてないです」
「……うん」
「信じてくれるんですね」
くんは小さい、か弱い声でそう言った。よく聞かなければファミレスの喧噪にかき消され聞こえなかっただろうほどの声だ。
「もちろん」
親から聞いた事件のあらましを思い出す。くんは男に絡まれた女の人を助けようと間に入ったところ、男は酔っぱらっていたせいかひとりで勝手に転び怪我をした。そうしたら男から訴えられ、くんの主張は受け入れられず傷害の判決が出たとのこと。なんてひどい話だろう。
「さん、相変わらず人がいい」
「えっ」
「俺が嘘吐いてるって考えなかった?」
眼鏡の奥の瞳を光らせながら、くんは言う。嘘って、そんなこと思いもしなかった。
「全然……だって、くん昔からそういう子だったし」
「だからって最後に会ってから七年もたってるのに」
「まあ、そうだけど……」
確かに七年あれば人は変わる。昔はいじめっ子を止めていたような子が非行に走ることもだるだろう。けれど、わたしはどうしてもくんが傷害で逮捕されるような子だと思えなかった。
「でも、やってないんでしょう?」
「やってない。それだけは言える」
くんはコップを持つ手に力を込める。その目は力強く真っ直ぐだ。
「うん、信じるよ」
わたしの言葉に、くんはふっと頬を緩めた。見た目は随分と大人っぽくなったけれど、笑った顔は以前と変わらない。
「くん、秀尽に通ってるんだよね」
「そう」
「わたしも高校は秀尽だったの。今……鴨志田先生のこととかで騒がしいでしょ?」
先日から報道されている鴨志田先生の体罰や性犯罪の件。わたしは鴨志田先生と直接関わったことはなかったけれど、母校の不祥事に身を震わせていた。
「くん、鴨志田先生と関わりあった?」
「授業を受けたことはないけど、話したことはある。前歴のことで目つけられてたんだと思う」
くんの言葉に、わたしは心を曇らせてしまった。
今も秀尽に知り合いがいる高校時代の友人に、今の秀尽の様子を聞いたことがある。そのとき彼女は「前歴者が転入してきてみんな怖がっているらしい」と言っていた。それは間違いなくくんのことだろう。くんの経歴について学校側には口外しないよう通達していたらしいけれど、人の口に戸は立てられないということだろうか。
「心配しなくても殴られたりとかはしてない」
「ん、そっか」
「友達もできたし」
「本当? よかった」
くんの言葉にわたしはほっと安堵する。彼は尾ひれがついた噂話が溢れる中でも信頼できる友人を見つけられたようだ。
「友達、どんな子? クラスメイト?」
「ひとりはそうだけど、もうひとりは違うクラス」
「うん、そっか」
「……なんか親みたいだ」
「えっ」
くんはすっと足を組むと、苦笑しながら言葉を続ける。
「そんなに心配しなくてもなんとかやってる」
「う、うん。そうだよね。なんか、最後に会ったくんのままな気がしちゃって」
つい先ほどまでわたしの記憶にあった一番新しいくんは十歳のくんだった。だから高二の彼を目の前にした今も、どうしても小学生を心配する心持ちになってしまう。
そんな話をしているうちに、頼んだ料理が運ばれてきた。私たちはお互い食事に口をつける。
「家って四軒茶屋なんだよね」
「そう、保護司の佐倉さんって人が四茶で喫茶店やってるから、そこの二階に住んでる」
「喫茶店かあ……行ってもいい?」
「いつでもどうぞ。事前に言ってくれれば俺も待ってるし」
「うん」
「おすすめはカレー」
「カレー……今食べちゃった……」
わたしがここで頼んだのはカレーライスだ。近いうちにくんの住む喫茶店に行くのなら続けてカレーになってしまう。思わず口を手で押さえたら、くんはふっと笑みをこぼした。その笑みを見て、わたしのほうも笑顔になってしまう。
「ふふ」
「ん?」
「くん、大人っぽくなったけど笑うとちょっと昔みたいな顔するね」
体は大きくてもやはり顔は昔の名残がある。特に笑うと、「ちゃん」と言ってわたしの服の裾を引っ張ってきたくんの顔がかぶって見える。
「……別に」
くんは照れたように、眼鏡を直しながら視線を逸らした。その仕草は高校生らしい。
それからわたしたちは、ご飯を食べながらとりとめのない世間話をした。学校の話や友達の話、くんはもうすぐテストのようで勉強の話を振ると苦い顔をしていた。
「家事とか困ってない?」
食後のコーヒーを飲みながらくんに問いかける。冤罪云々を置いても一人暮らしの始めは家事がなかなかに難関だろう。
「まあなんとか。近くにコインランドリーあるから洗濯はそこでしてるし、佐倉さん……保護司の人がたまにカレー作ってくれる」
「たまにって、いつもは?」
「……カップラーメンとか」
くんはその答えが後ろめたいのか、少し声が小さい。しかも視線を外しているときた。
「毎日カップラーメンはちょっと……」
「カップ麺は買いだめできるから楽で」
「気持ちはわかるけど成長期なんだし……別に自炊しなくても、お惣菜買ってくるとか」
くんはまだ目を逸らしたままだ。確かにカップ麺は楽だ、わたしも疲れたときはよくお世話になっている。しかしカップ麺だけでは栄養が偏るし、しかも毎日となるとさすがに心配だ。
「……たまにご飯作りに行こうか? なんなら教えるし」
わたしは大学に入ってからは実家を出ているので、もう一人暮らし三年目、ある程度の家事スキルは持っているつもりだ。凝った料理はできないけれど、ひとり分の手抜き……もとい手軽に作れるレシピならそれなりに知っている。
「いや、そんな……」
くんはそう言った後、少し考える仕草をしてわたしをまっすぐに見つめた。
「……じゃあ、来てほしい。たまにでいいから」
「もちろん。まあ、そうは言っても教えられるの、すごい簡単なご飯だけどね」
「むしろそういうほうが助かる」
「うん、了解」
「ありがとう」
くんはお礼を言ってコーヒーに口をつける。その様子を見ているとなんだか感慨深い。くん、いつの間にかブラックコーヒーなんて飲むようになったんだ。昔はふたりで甘いミルクコーヒーを飲んでいたというのに。
ファミレスを後にする前に、くんの住んでいる喫茶店の場所を確認する。四軒茶屋駅から近いとは聞いていたけれど本当に徒歩一分ですぐのようだ。四茶ならわたしも乗り換え一回で行ける場所だし気軽に赴くことができる。
お会計のためレジに並んでいると、くんが財布を出そうとするので慌ててそれを制止した。
「いいよ、一人暮らしで大変でしょう?」
「さんだってひとりだ」
「わたしはもう大人だし」
そう言って無理矢理くんの財布を引っ込ませる。一応大人なのだからここはかっこつけさせてほしい。
しかしながらくんは唇を尖らせ不満そうな面持ちだ。男の子だしその辺りプライドもあるのだろうか。気を遣ったつもりだったけれど失敗だったかもしれない。次はちゃんと個別会計にするべきか。
「くん、この後はバイトだっけ」
「そう、セントラル街のコンビニで」
「頑張ってね」
「うん」
「じゃあ、来週ルブランに行くから」
「よろしく」
そう言って手を振りその場は別れた。渋谷の人混みに消えていくくんの後ろ姿と、昔の小さなくんがかぶって見えた。
くんは「なんとかやっている」と言っていたけれど、実際大変だろう。高校生で一人暮らし、しかも冤罪という形で。日々の生活に追われるだけでなく、精神的にも負担だろう。七年ぶりとはいえ昔なじみのわたしの顔を見て少しは安心してくれたらいいと思う。