ジョーカーに恋する同級生/2
九月。夏休みが終わり新学期が始まった。くんが花屋のアルバイトを始めて三ヶ月がたつ。
「あ、モルガナちゃん」
アルバイト中、棚に置かれたくんの鞄からモルガナちゃんが顔を出す。手を振るとモルガナちゃんは大きく口を開けて答えてくれた。
鞄に猫が入っているのを初めて見たときは仰天したけれど、もうすっかり慣れてしまった。鞄の中で暴れることもないおとなしい子だ。
「モルガナちゃんって全然鳴かないよね」
「家だと結構鳴くよ。ここでは鳴くなって言ってるから」
「そうなんだ。ちゃんと躾できてるんだなあ」
くんは毎回ここにモルガナちゃんを連れてきているけれど、私は未だにモルガナちゃんの声を聞いたことがない。もともと鳴かないタイプの子なのかとも思ったけれど、家では鳴いているようだ。私もどんなふうに鳴くのか聞いてみたい。
「聞こえたらまずいし」
「そうだね。ここはともかく、学校だと追い出されちゃうよね」
「……まあ、そういうこと」
学校やアルバイト先にまで連れてくるなんてずいぶんと二人は仲良しだ。わたしはもう一度モルガナちゃんに手を振った。モルガナちゃんはしっぽを振り返してくれる。
「そろそろ時間だ。あがろう」
「うん」
「帰り道、どこか寄らない?」
「んー……じゃあファミレス!」
「了解」
帰り支度を整え、店長に挨拶をして店を出る。セントラル街のファミレスに着くとそこは家族連れで賑わっていた。
「ぷるるんフルーツティーだっけ。それ」
「そう。前から飲んでみたくて。くんも一口飲む?」
「……いいの?」
「うん。おいしいよ」
コップを渡すと、くんはストローを指でつまんでフルーツティーを一口飲み込む。
「ああ、おいしいな。俺も今度頼んでみようかな」
「うん、いいよね。ちょっとお高いけど」
「……さんってこういうの結構気にしないタイプ?」
「なにが?」
「いや、細かいことっていうか……」
くんは足を組み、前髪をいじりながら口を開く。
「三ヶ月前も普通に話しかけてきたしさ。俺の噂、知らないわけないだろ?」
「ああ、噂? もちろん知ってるけど、そんなのどうでもいいよ」
だって噂は噂でしょ。そう言うとくんは笑った。
「どうして笑うの?」
「いや、いいなって思って」
「だってくんが転入する前からあったんだよ、あの噂。今じゃずいぶん尾ひれもついてるし。そんなの信じないよ。くん、全然普通の人だし」
ストローを通してフルーツティーを飲みながら、くんを見た。うん、くんは普通の人。この三ヶ月一緒にアルバイトをしてきたからわかる。
「噂通りの人間だったらどうする?」
「売春の斡旋とかは困るなあ。私も売られちゃう?」
「売るかも」
冗談めかしてそう言うと、くんは笑いながら答えた。ほら、やっぱり普通の人だ。
「もし噂通りの人でもどうでもいいよ。だって私の前では普通の人だもん。私にとってのくんはクラスメイト、友達、バイト仲間。それだけ」
ね? と重ねて言うと、くんは目を伏せて自身が頼んだコーヒーを飲んだ。
「そうだね」
「でしょ? 裏の顔探っても仕方ないよ」
「うん、ありがと」
くんがそう言ったとき、ファミレス内を走る子供たちが私たちの机の前で何かカードのようなものを落としていった。
「あ、怪盗ポストカード」
「本当に流行ってるな」
拾い上げるとそこには怪盗団のマークが描かれている。最近流行りの怪盗団。世界的に有名なメジエドを退治したことでさらに有名になったようだ。
落とした子たちをどうにか掴まえ「もう落としちゃダメだよ」と言ってポストカードを返した。子供たちは「かいとうだーん!」なんて言いながら親に連れられ自席へ戻っていった。
「さん、怪盗団はいると思ってる?」
くんの突然の問いかけに、私はフルーツティーを飲む手を止めた。
「いると思ってるし、応援してるよ。くんは?」
「いるんじゃないかな。偶然にしてはタイミングがよすぎるし」
「うん、そう。予告状が出た少し後に改心って、すごいじゃない? しかもこんな立て続けに。いないって言われたほうが信じられないよ」
「でも心を盗むなんて、どうやってると思う?」
くんはカップを持つの人差し指を私に向ける。そう、それがみんなの一番の疑問点だ。ただ、私にはもしかしたらという思いがある。
「……笑わないで聞いて欲しいんだけど」
ずっと誰にも言ってこなかったけれど、くんなら話してもいいかもしれない。私は周りに聞こえないよう、小さな声で話し始めた。
「三ヶ月前にくんと高巻さんが私を病院に運んでくれたじゃない。あのとき、私多分貧血じゃないんだと思う」
「どうして?」
「渋谷を歩いてたらいきなり寂れた駅……ううん、もっと暗くておどろおどろしい雰囲気の、まるで異世界って場所に入ったの。そこで変な化け物に襲われそうになって、同年代の男の人に助けてもらったの。そのあとあんまりびっくりして気絶しちゃってね」
自分で話しておいてなんだけれど、本当に荒唐無稽な話だ。けれども絶対にあれは現実に起きた出来事だ。夢だなんて私は言えない。
「そうだったんだ」
「……笑わない?」
「笑わないでって言ってただろ」
くんは言いながらコーヒーのカップを持ち上げる。その目は笑いをこらえている様子でもない。信じてもらえたとは思っていないけれど、バカにされずに済んだことにはほっと安堵する。
「それにそういうファンタジーみたいな話嫌いじゃないよ。もしさんの言う異世界があるなら面白そうだ」
「面白いって……すごく怖かったよ」
「ああ、そうか。ごめん。でもそれと怪盗団に何の関係が?」
くんはコーヒーをまた一口飲んだ。わたしを見つめる彼の視線は鋭い。私のこんな荒唐無稽な話を笑わないどころか、むしろもっと深く聞きたいと言っている雰囲気だ。
「あ……そうだね。助けてもらう前にね、助けてくれた人とは違う男の人の声が聞こえたの。そのとき「改心」って聞こえた気がして」
あのときの声は遠く何を言っているかすべてが聞こえたわけではなかったけれど、「かいしん」と言うワードは確かに聞こえた。会心、回診、回心、改新。いろいろな漢字が予想されるけれど、改心という言葉が一番しっくりくる。
「心を盗んで改心させるなんて普通じゃあり得ないじゃない? だったら「あり得ない世界」でやってるのが一番自然に繋がるかなって。ま、全部予想だけどね」
「……なるほど」
くんはもう一度コーヒーを飲む。ぐいと顔をあげて飲む様子からしてもう中身はないようだ。
「その異世界にはそれから行ったことないの?」
「うん。渋谷でうろうろしててももうたどり着かないなあ」
「たどり着かないって、行きたいの?」
確かにくんの疑問通り、そんな世界普通は二度と行きたくないと思うだろう。私だってあの化け物に会って怖い思いをするのはもうたくさんだ。だけれど。
「……あの世界に行きたいって言うか、助けてくれた人には会いたい」
私の答えに、くんは足を組んでさらに耳を傾ける。
「同年代って言ってたっけ」
「多分……だけど。マスクしてて顔半分隠れてたし。どこかで会えたらな……」
「……つまりその人が好きってこと?」
「えっ!?」
くんの突然の言葉に驚いて、お冷やのコップを倒してしまった。慌てておしぼりでテーブルの上を吹いた。中身がほぼなかったのが救いだ。
「ご、ごめんこぼしちゃって」
「いや、別に」
「……あの、好きって言うか、単純にちゃんとお礼が言いたいっていうか……」
「ふうん?」
「う……」
くんの訝しげな視線が痛い。目をそらしてフルーツティーを飲もうとしたけれどコップの中はすでに空っぽでストローからは濁った空気音が響いた。
……うん、そう。くんの言うとおり私はあの人のことが好きなのかもしれない。たった一瞬の邂逅、まともに言葉を交わしたわけではない。わけのわからない世界で化け物から助けてくれた。ただそれだけ。顔も見ていないし外見も三ヶ月がたった今は記憶も朧気だ。確か仮面舞踏会のようなドミノマスク、黒いコート、そして私に差し伸べられた手には赤い手袋。髪はそう、確か。
「くんみたいな髪型だった」
そう。くんみたいな黒髪のくせっ毛、ぼさぼさに見えて無造作風の髪型だった。
「……そうなんだ。他に覚えてることある?」
「うーん……なんか、猫みたいな形の子もいて……でもそれ以上はもうあやふやだなあ」
「そっか。もしそいつのこと見つけたら教えるよ」
「あ、ありがと。なんか照れくさいけど」
相手のことを深く知っているわけでもないのに好きだなんておかしいだろうか。けれど、この胸の疼きは確かに恋と言われたほうがしっくりくる。くんに指摘されるまでなぜ気づかなかったというぐらいに。
「……そろそろ帰ろうか。もう遅い時間だ」
「うん、そうだね」
別々に会計を済ませファミレスを出た。私はJL線、くんは田苑都市線だから渋谷駅でお別れだ。
「じゃあね、くん」
「うん。……あ、そうだ」
改札をくぐろうとするとくんが何かを思い出したような声を出し早足でこちらへやってきた。
「さんのスマホ、変なアプリとか入ってない? この間竜司や杏がそんな話してて」
「変なアプリ……? どうだろ……実はスマホ全然使いこなせてなくて」
私はものすごく機械音痴で、スマホもうまく扱えていないのだ。チャットアプリと電話ぐらいしか使えていない。
「だからよくわからないんだよね。もったいないってよく言われるけど」
「そう。俺は機械苦手じゃないから、もし何かあったら遠慮なく言って」
「ありがと」
「じゃ、今度こそまた明日」
「うん、バイバイ」
くんと別れてJL線の改札を抜けた。電車の中でも聞こえるのは怪盗団の話題ばかり。
あのジョーカーと呼ばれた人が怪盗団なのかは定かではない。けれどきっとその可能性は高いと思う。私が怪盗団を応援している理由のひとつは、やはりあの人なのだ。
「ジョーカー、か」
その言葉を聞いて思い出すのはトランプのジョーカー、確か切り札という意味だったはず。
もう一度、あの人に会いたい。
*
「やっと聞き出せたな、あのときのこと。あの子、やっぱり覚えてるんだな」
ルブランに帰り着替えていると、モルガナがいつもの場所でおもむろに口を開いた。
「ああ」
「ワガハイの声も聞いてたみてえだからな。おちおち喋れもしねえ」
「メメントスの中って反響するから聞こえてたんだろうな」
「どうすんだ? 多分イセカイナビも持ってるだろ。何かの拍子で向こうに入っちまうかもしれねえぞ」
「そうだけど……だからってこっちのこと話すわけにもいかないし」
「まあ、そうだよなあ……」
今から三ヶ月前、メメントスに潜ったとき、モルガナが「自分たち以外の人間がいる」と言い出した。まさかと思って入り口の方へ行けばそこには今にもシャドウに襲われそうなクラスメイト、さんの姿があったのだ。シャドウは敵と認識しなければ襲わないとモルガナから聞いていたけれど、まさかあの状態のさんを放っておけるわけもなくほぼ無意識に助けに入ってしまった。そのまますぐに彼女は気を失ってしまったため、きっとあのときのことは夢だと思ってくれているだろうと思いつつ、あのときの記憶があるか。イセカイナビを持っているか。その二つはどうしても気になるところではあった。けれどストレートに聞くわけにも行かず、竜司や杏と話してさんの動向を注視することにした。
その直後、さんとアルバイトがかぶったのは完全に偶然だった。俺が花屋のアルバイトを始めたのは情報誌に載っていたから。それだけの理由だ。
一緒にアルバイトをしているうちにさんという人間が見えてきた。至ってふつうの高校生、異世界の話をすることもない。再びパレスやメメントスに迷い込んだ形跡もない。きっと彼女はあのときのことは忘れているのだろう。イセカイナビのことだけは不安だったが、キーワードや名前を入れないとあれは反応しない。そう簡単に起動するものでもないので、最近は俺やモルガナもほぼ安心しきっていた頃だった。それが今日、たまたまこんな形であのときの話を聞くことになるとは。
「覚えてはいるみたいだけどあのときのこと喋っているようでもないし、とりあえず様子見でいいんじゃないか?」
「まあ、そうだな。それしかねえか。……つーか、オマエモテモテじゃねえか」
モルガナは突然明るい声で話題を変えると、ニヤリとした笑みをこちらに向けた。
「モテモテって」
「告白しねえのか? 好きなんだろ?」
モルガナの言葉に、ふっと心に影が差す。
さんとアルバイトが重なったのは偶然。親しくなったのも偶然だ。彼女は俺の噂のことは気にせず話しかけてくるし、会話のテンポもちょうどよかった。アルバイト帰りによくファミレスに行ったのは、なにもあのときのことを聞き出そうとして誘っていたわけではない。一緒にいる時間が心地よかったからだ。
アルバイトを始めてすぐに、俺は自分の中に芽生えた恋心に気がついていた。
「さんが好きだって言ってるのは俺じゃないよ」
「……まあ、あっちはわかってねえが本人じゃねえか」
「じゃあ言う? 俺が異世界であなたを助けたジョーカーですって?」
「……言えねえな」
「だろ」
自分の好いている相手が自分を好きだと言っているのに、それを自分だとは言い出せないとは、なんとも不思議な話だ。つまり俺の恋敵は自分自身だと言うこと。
「どうすんだよ、オマエ。両思いなのに」
「そんなの決まってるだろ」
瞬きをひとつして、彼女の顔を思い浮かべた。三ヶ月前、助けた彼女の顔。触れた手の感触。
「俺の方を好きにさせればいいだけだ」
たった一度のジョーカーとの邂逅。さんにとっては大きなインパクトがあったのだろう。けれどもう三ヶ月も前、たった一度のことだ。俺の方へと振り向かせれば、好きにさせればいいだけの話だ。
「オマエって意外と……」
「なに?」
「いや、なんでもねえ」
モルガナは言葉を濁すと机の上で丸まった。
簡単なことではないだろう。訳のわからない世界で恐怖に震えていたところを助けてくれた相手というのはそう簡単に忘れられるものではない。
けれど振り向かせない自信がないわけではない。なにより、恋敵が自分というのは、
「面白いじゃないか」