コンビニアルバイトの同僚/1


 セントラル街にあるコンビニエンスストア、トリプルセブン。が三つ掛け持ちしているアルバイト先のひとつだ。金城のシャドウを早々に倒し改心を待つ状態の今、生活費や怪盗団としての活動費を稼ぐため、はアルバイトに精を出していた。
くん、お疲れさま。彼女、待ってるわよ」
 先輩である澁谷の言葉を聞き、バックヤードへ目をやった。ドアの窓の隙間から見えるのは、このアルバイトの同僚であるの姿だ。
「仲、いいのね。当てられちゃいそう」
 笑顔で話す澁谷の言葉はおそらく本心からのものだろう。は少々後ろめたさを感じつつ「お疲れさまでした」と返しバックヤードへ入った。
 。高校二年生。のコンビニエンスストアのアルバイトの同僚。ただそれだけの関係だ。その彼女がなぜの彼女と認識されているのか。事の発端は二週間前に遡る。


くん、お願いがあるの!」
 渋谷駅前広場。コンビニアルバイトからの帰り道、に突然呼び止められた。
 とはシフトがかぶることがままあり、バイトの中では唯一の高校二年生同士でアルバイト中や休憩中はそれなりに話す仲ではある。しかし、ただそれだけ。コンビニから一歩出れば特段話すことはなく、がアルバイトに入ったときに交換したチャットも使用したことが一度もないまま一ヶ月が過ぎている。
 そのが突然自分を呼び止めるとは一体なにがあったのだろう。シフトを代わってほしいという話なら活用されていないとは言えチャットで送ればいいし、なにより先ほどまで一緒にアルバイトをしていたのだからそのときに言えばいい。コンビニでは言えない事情でもあるのだろうか。小声で「どうしたの」と聞くと、は案の定言いにくそうに言葉を濁す。
「その……」
「……どこか違う場所に行こうか」
 の周囲を窺うような仕草を見て、はセントラル街から離れた場所を提案した。は東京に来てまだ三ヶ月弱。ルブランのある四軒茶屋はともかく、渋谷に関してはそれほど詳しいわけではない。いつも歩いているセントラル街から外れた場所を歩いてみると、チェーン店の喫茶店があったのでそこに入ることにした。
 ブレンドコーヒーを頼むと、が「わたしが出すよ」と言って百円玉を三枚トレーに乗せた。「わたしが呼び止めたんだし」と。素直にそれに従いカップを持って一番奥の席に座る。の向かいに座ったはアイスティーを一口飲むと、意を決したような表情で口を開いた。
くん、実はお願いがあって……」
「うん」
「あの……彼氏の振りしてほしいの!」
 想像だにしていなかったの言葉に、は無意識に「え?」と低い声を出してしまった。だが両手を合わせて頭を下げるの姿は真剣そのもので、冗談の類とは思えない。
「え、なんで……?」
「ええと……話せば長くなるんだけど」
 前置きをした後、はぽつぽつ事の経緯を話し始めた。
 発端は先週の金曜日。アルバイトを終えたがバックヤードから外に出たとき、同じアルバイトのひとつ上の先輩に声を掛けられたという。「付き合ってほしい」と。ほぼ話したことのなかった彼からの告白に、「ごめんなさい」とは返したそうだが、先輩は「彼氏いるの?」「いないならお試しみたいな感じで付き合ってほしい。後悔させないから」と言葉を重ねて来たらしい。その問いに対し、は思わず「います!」と声高らかに答えてしまったのだ、とのこと。
「……で、その嘘の彼氏役を俺に演じてほしいってこと?」
「そ、そう。わたし女子高だから男友達全然いないし、バイトの他の知り合いはみんな彼女いるって先輩も知ってるし……くん以外に頼める人がいなくて」
 確かにが知っている男性アルバイト店員は二人とも彼女持ちだったはずだ。に男友達と呼べる存在がいないのなら、自分に白羽の矢が立ってもおかしくはない。
「お願い、次のバイトのときにちょっと話合わせてくれるだけでいいの! ここ以外もなにかおごるし!」
 向かい合うは手を合わせ頭を下げた。の表情から察するに、相当深刻なお願いのようだ。はコーヒーを一口飲み、紙のカップを机に置いて口を開いた。
「わかった。いいよ」
「えっ、いいの?」
 の返答が意外だったのか、は目をまん丸くした表情で顔を上げた。
「うん、ただ話合わせればいいだけだろ? 別に彼女もいないし、それぐらいなら」
「あ、ありがとう……!」
 は目をほんの少し潤ませながらにもう一度頭を下げる。ひとりごとのように「よかった……」と呟きながら。
「そんなに安心する?」
「う、うん……どうしようって思ってたから」
 背もたれに体重を預け胸に手を当てるの様子は少々大げさとも思える。はコーヒーの紙カップを手に持ちながら、に再び言葉をかける。
「……先輩、怖いの?」
 ふと思いついたことを聞くと、はアイスティーのストローをくるくる回し始めた。
「……うん、ちょっと。今まではあんまり話したことなかったし、正直なんとも思ってなかったんだけど、告白してきたとき全然引いてくれなくて、ちょっと怖いなって……」
「……そう」
「あ、ちょっと自意識過剰かもしれないけどね」
 そう付け加えたは笑ってはいるけれど、作り笑いであることは明白だ。実際告白の現場を見たわけではないに先輩がどんな様子だったかはわかりかねるが、それでも目の前の人間が困っていると言うのなら放ってはおけない。
「そんなことないんじゃないかな。でも、彼氏いるって言えばさすがに諦めるだろ」
 それからと次のバイトの予定を確認する。今週の金曜日、と先輩のシフトがかぶっている。はその日アルバイトを入れる予定はなかったが、ふたりが上がる時間帯にコンビニに赴き「の彼氏」として先輩に話をすることになった。

 そうして迎えた金曜日。ファミレスでの勉強を切り上げ、はコンビニへと向かう。すでにバックヤードの入り口にと先輩は待っている。
が彼氏……?」
「は、はい。アルバイトだけど職場なわけだし、みんなに言うと変な感じになるかなって思って言ってなかったんですけど」
「ふうん……」
 先輩はジロジロと舐めるようにの姿を見つめている。
 はこの先輩とほぼ話したことがない。もともとこのコンビニのアルバイトも三つ掛け持ちしているアルバイト先のひとつというだけで、マメにバイトをしているわけではない。そのため彼とシフトがかぶったことは一、二度しかない。きちんと顔を合わせて言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「そういうことなんで、彼女のことは諦めてください」
「……本当に彼氏、いたんだ」
「は、はい。だから……ごめんなさい」
「……わかった」
 先輩はしぶしぶと言った雰囲気でため息をつくと、駅の方へと歩いていった。
「……これでもう、大丈夫かな?」
 は小さな声で呟くと、ほっと安堵の表情を見せた。先輩があっさり引いてくれたので安心したのだろう。
「多分。でも駅で鉢合わせるかもしれないし、駅まで一緒に帰ろうか」
「うん」
 セントラル街のコンビニをアルバイト先にしているのだから、おそらく先輩も渋谷駅を利用するだろう。駅で先輩と会ったときにがひとりだったら「彼氏は?」と聞かれるかもしれない。少なくとも改札口までは一緒に歩いたほうがより確実だ。
 はJL線を利用しているらしい。コンビニの裏口からセントラル街へと出ながらそんな話をしていると、ふとの目の端に気になるものが映った。
「あ」
「どうしたの?」
 ふいと「それ」から顔を逸らし、首を傾げるに「きょろきょろしないで」と小声で返す。
「先輩、こっち見てる」
 左手に見えるビッグバンバーガーの窓際の席で、例の先輩がハンバーガー片手にこちらを見ている。明らかにに気づいた表情だ。
「ビッグバンバーガーにいる。入り口近くの席。偶然かもしれないけど、一応」
「う、うん」
 は先ほどまでの明るい表情を曇らせうつむいた。心なしか肩は少し震えているように思う。は歩くスピードを速め、もそれについていく。セントラル街を抜けブチ公前に着いた瞬間、は大きく息を漏らした。
「大丈夫?」
「う、うん……ちょっと緊張して……」
 はもう一度大きく息を吐くと、ちらりとセントラル街の方に目を向ける。
「……先輩、前にバイト帰りによくビッグバンバーガーに寄るって言ってたから、多分それだと思うんだけど……」
 確かに今は夕飯時、バイトの帰りに手軽なハンバーガーを食べることは不思議なことではない。ただ、こちらを凝視するあの視線は少々気になる。
さん、次のシフトいつ?」
「え? 火曜日だけど……」
「俺も同じだ。その日も一緒に帰ろう。先輩はシフト入ってなかったと思うけど、一応」
 先輩があそこにいたのはただの偶然かもしれない。けれどもし見張るつもりで先輩があそこで待っていたとしたら。彼女がひとりになる瞬間を待っていたとしたら。嫌な方向に考えようと思えばいくらでも最悪の状況は思い浮かぶ。少なくとも答えが出るまではをひとりで帰らせられない。
「え、そんなの悪いよ……だって一度きりって話だったんだし」
 確かにが彼氏の振りをするのは今日一度きりの予定だった。例の先輩は受験勉強に集中するためこの夏の間にアルバイトを辞める予定だと聞いていたから、これ以上嘘を重ねる機会はそうないとふたりとも思っていたのだ。
「でも、怖いんだろ」
 の一言に、はぐっと唾を飲んだ。その表情からが先輩に脅えているのは明白だ。
「……怖い、けど」
「じゃあ決まりだ」
 はスマホを取り出しシフトを改めて確認した。その日はのほうが一時間遅く終わるとのことなので、「バックヤードで待ってる」と伝えた。
「……ん、ごめんね。巻き込んじゃって」
「別にいいよ。俺だってもしさんになにかあったら寝覚めが悪い」
 じゃあ火曜日に。そう言ってJL線の改札を通るを見送って、は渋谷駅を一瞥する。例の先輩の姿が見えないことを確認して、田苑都市線へと向かった。



 あれから二週間。念のため、はアルバイトのたびに一緒に帰るようになった。もともともマメにシフトを入れていたわけではないらしく、週に二回のシフトを合わせるようにしたのだ。終わる時間が合わないときは片方がバックヤードで片方が終わるのを待つ。シフトが合わなければが迎えに行く。おかげでアルバイト仲間の中でもふたりが付き合っているという話はあっという間に広がった。
 今日ものバイトが終わるまで待っていたとふたりで、渋谷駅までの道を歩く。途中にあるビッグバンバーガーを見れば、またそこには先輩の姿が見える。
「……またいる」
 の声に、は体を縮こまらせた。
 を彼氏だと先輩に紹介した日から、アルバイトからの帰りの道中でビッグバンバーガーに先輩の姿を毎回確認している。先輩がアルバイトに入っていない日も、だ。あの日からが一緒に帰るのは五回目、もう偶然とは言えない回数になってきている。
「先輩、さんの地元駅とか知らないんだよね?」
「う、うん。誰にも話してないし……学校のことも言ってないから、知らないと思う」
 周囲を窺いながら、は不安の滲む声で話し出す。
「……バイト、辞めないといけないかなあ。学校までの乗換駅だから通うの便利だし、澁谷先輩とか優しいから気に入ってたんだけど……」
 は大きなため息を吐いた。
 確かにの言うとおり、彼女と先輩の接点がアルバイトしかないのなら辞めるのが一番確かな手ではある。それだけで先輩は彼女を追うことはできなくなるのだから。
くんにも迷惑掛けっぱなしだし」
「俺は別に気にしてないよ」
「……ありがと」
 そんな話をしているうちに渋谷駅に着く。は後ろを見渡し先輩の姿が見えないことを確認した。
「もし何かあったら連絡して。怖いならバイトも休んでいいよ。ふたり分ぐらい働けるから」
「……うん、ありがと」
 は不安げな表情のままJL線の改札をくぐっていく。彼女の姿が見えなくなったところで、の鞄の中からモルガナが顔を出した。
「なあ、どうすんだ? このまま毎回送っていくってわけにはいかねえだろ」
 モルガナの言葉の通り、今は怪盗団の活動は落ち着いている。金城のシャドウを倒し、本人も検察に確保されたという。メメントスのターゲットの情報もない。だがまたどこかで悪人の情報が入れば怪盗団として動かなくてはいけなくなるだろう。そのとき今のようにマメにアルバイトを入れ彼女を送って……と言った生活が厳しくなることは明白だ。
「だからって放っておけない」
「わかってるよ。だから根本をどうにかしないといけねえだろ」
 モルガナの言う「根本」は件の先輩だ。確かに彼を改心させれば事は片づく。
「改心させるってこと? 今の段階で?」
「まあ……確かに難しいな」
 モルガナの言うとおり、彼はまだ彼女に直接手を出したわけではない。現状彼のしていることは、渋谷駅という若者の集まる駅の近くのハンバーガーショップにいたということだけ。あの場の先輩を確認したのが五回目といえど、偶然居合わせただけという可能性もまだ残ってはいる。全会一致が得られるかはわからない。実際自身もこの状態で彼を改心させるという決断を取っていいものかという迷いはある。人の心をねじ曲げるようなこの力を、疑惑の段階で振るうことにはさすがに躊躇がある。
「もう少し様子を見よう。少なくとも確実な証拠が得られるまでは動けない。さんがアルバイト辞めるならそれで終わることだし」
「いいのか? それで」
 モルガナの言葉に、はふと表情を曇らせた。
 と先輩の接点がアルバイトだけであることと同じく、の接点もこのアルバイトだけだ。彼女が辞めればもう会うことなどなくなるだろう。
 この二週間でほんの少し芽生え始めたへの想いに、モルガナは気づいているのだ。
「余計なお世話」
 はモルガナを鞄にしまい込むと、田苑都市線のホームへと向かう。
 もしがアルバイトを辞めるという選択肢を取るのならそれが一番いい。それで彼女は脅えることなく過ごせるようになるのだから。も、それをわかっている。