ルブラン常連の大学生/2
秋。今日もルブランにがやってきた。カレーを用意したところで雷が鳴り始め、双葉を心配した惣治郎は一度家へと帰った。今は店内にとのふたりきりだ。
「くんのコーヒー、おいしくなったね」
カレーを食べ終えたは、カップ半分ほどになったコーヒーを飲みながらそう言った。
「そう?」
「うん。前より深みがでてきた」
が初めてのコーヒーを飲んだときから三ヶ月以上が過ぎている。あれからは頻繁にコーヒーを淹れてきた。それは友人のためだったり、怪盗団に役立てるためだったりと様々だったが、それだけ淹れて上達しないほうが困るだろう。
「佐倉さん、遅いね」
惣治郎が双葉の様子を見に行ってから二十分ほどたっている。十分程で戻ると思われたが惣治郎が戻る気配はない。
「ふたりきりなの、久しぶりだね。初めてコーヒー淹れてもらった、あのとき」
懐かしそうに話すの姿を見て、はあのときのことを思い出す。
あのときは梅雨も明けようかという季節だった。犯罪グループのボスである金城を改心させた直後だ。今日もあのときと同じように雨が降っているが、梅雨のしとしとと降る雨とは違い、バケツをひっくり返したかのような土砂降りだ。この降り方、雨はおそらく長くは続かないだろう。
「雷、結構近いね」
ゴロゴロと鳴る雷の音は大きい。先ほどより近くなっているようだ。この調子では惣治郎もいくら近いとは言えこちらに帰ってくるのは難しいだろう。
の予想通り、ルブランの電話が鳴った。やはり相手は惣治郎で、雷がおさまるまで戻れないと言う内容だ。この天気ではそう客も来ないだろうし、来ているのはも顔なじみのだ。惣治郎も店を預けていいと思ったのだろう。
「佐倉さんもこの雷じゃ危ないもんね」
「さんも、しばらくゆっくりしていって」
「うん、そうするね」
はすでにカレーを食べ終え、温くなったであろう残り少ないコーヒーを飲んでいるところだった。が、この天気では彼女も帰るに帰れないだろう。
「さん、雷怖いタイプ?」
「ふつう? 外に出るのは怖いけど、室内なら特には」
「残念」
「脅えた方がよかった?」
「俺としてはそのほうが」
「ふふ、ごめんね?」
はカップを持ったままくすくすと笑う。はと同じく人見知りしないタイプなのだろう。一、二週に一度しか会わないとも彼女は軽い会話を続けている。このトーンの会話が、今のには心地よかった。
今、怪盗団には殺人の嫌疑がかけられている。つい先日まではヒーロー扱いだったというのに、奥村社長の死からは一転犯罪者扱いだ。
もちろん、たち自身はやっていないと断言できる。最初は改心の手順を間違えたかとも思ったが、どうやら自分たちをはめた人間がいるらしいことがわかってきた。しかし世間がそんなことを知る由もない。怪盗団を取り締まれ、捕まえろ。そんな世論がの心にのしかかっていたのは、自身も否定できなかった。
それに、下火になったとは言え秀尽学園の間ではまだに対する噂が蔓延っている。クラスメイトに話しかけようものなら、あからさまに避けられる。現実も異世界もやっていない罪で犯罪者扱いだ。ほんの少し、少しだけ、は疲れてしまっていた。
そんなに、との軽い会話は一時の癒しの時間になっていた。は前歴のことも怪盗団のことも知らない。気を遣われることも遣うこともない。客と店員と言えど、にとって気楽に話せる間柄だ。
「わ、光った」
ルブランのガラス戸の向こうに、雷光が走る。これはまた随分と近そうだ。
「え……」
雷光のすぐ後、店内の照明が消えた。外の様子を見る限り近所も同じく停電しているようだ。
「停電?」
「みたい」
はポケットのスマホを取り出し、明かり代わりにする。棚から懐中電灯を取り出して、店内を照らした。
以前、双葉の件を探りに惣治郎の家へと入ったときのことを思い出す。あのときも雷で停電したはずだ。
「すぐ直るといいんだけど」
「どうだろ」
暗闇でもは取り乱す素振りを見せない。必要以上に脅えられても困るが、まったくいつも通りというのも少し残念とは思う。こんな暗闇に男とふたりきりなのだから、何かしら反応があってもいいだろうに。まったく意識をされていないようで面白くない。
「くん?」
そんなの様子を不思議に思ったのか、は首を傾げた。きょとんとした表情に、の心は疼いた。
「……いや」
が、それ以上はなにも言わなかった。それでいいと思った。
「……ちょっと冷えてきたな」
豪雨のせいだろうか、昼間は晴れていたこともありまだ暑い陽気だったのに、雨が降り始めてから空気が一気に冷え込んだ。店内の暗さも寒さを助長させている。
「そうだね」
「上着取ってくる」
はスマホを照らしながら上着を二枚自室から持ってくる。パーカーをに渡すと、彼女はお礼を言いながらそれを羽織った。
「あ、暖かい」
「うん」
はなんとなく、の隣に座った。ふたりしかいない今カウンター越しというのも距離があって居心地が悪い。
「まだ、停電直らないのかな」
「暇だな。百物語でもする?」
「できるの?」
「できない」
「なにそれ、もう」
はクスクスと笑いながら、に顔を向ける。懐中電灯の淡い色に、の表情が照らされる。
「じゃあ……くんの話が聞きたいな」
「俺の話?」
「好きなものとか、嫌いなものとか、そういうの」
どう? とは首を傾げた。は迷いながらも口を開く。
「好きなものは……猫? あとは……コーヒー」
ぽつりぽつりと、は自分の話を始めた。停電が直るまでの十分間、はそれをただ笑顔で聞いていた。
季節は冬へと移り変わる。相変わらずは毎週ルブランに顔を出しているようだ。
一方のはあまり堂々と出歩くことができなくなっていた。警察はを死んだと思っている。早々探されることはないだろうが、あまり大っぴらに顔を出すわけにはいかない。客と対面することになるルブランの手伝いも避けていた。
しかし、ある日惣治郎がに告げる。「あの子、寂しがってるぞ」と。あの子とはのことだろう。と顔なじみの客はしかいない。
ルブランに顔を出すのをやめたのは警察を騙したあの日からだ。しかし、十一月の初旬からはタイミングが合わずと顔を合わせていなかった。最後ににあったのは一ヶ月以上前、あの停電の日だ。
「ちょっとぐらい顔出してもいいんじゃねえか? どうせ死んだと思われてるやつを探る人間なんていねえだろ」
「……そうですね」
少し心配ではあったが、は惣治郎の言葉に従うことにした。実際死体がないにも関わらずここまで警察はの死を怪しんでいないようだ。常連ばかりのルブランに顔を出しても問題はないだろう。
それに、もの顔を見たいと思っていた。あの柔らかな笑顔が、見たかった。
次の日はちょうどがいつもルブランにやってくる曜日だ。は日中に潜入道具を作った後、夕方エプロンをつけカウンターへ入った。店内には二組の客がいる。どちらも常連客だ。ひとりは話好きでひっきりなりに惣治郎に話を振っている。
シンクに溜まったカップを洗っていると、ルブランの扉が開く。はベルの音に反応し顔をあげた。そこにいたのは、やはりだ。
「くん!」
はの顔を見るやいなや、顔をほころばせた。いつもの柔和な笑顔ではない、少しだらしないとも言えるような笑顔。眉と目尻を下げた、ゆるんだ笑顔だ。
「……久しぶり」
「うん」
はカウンター席に座りながらコートを脱いだ。グレーのセーターが暖かそうだ。
もともとに会うのは二週に一度程度。一ヶ月顔を会わせない程度では言うほど久しぶりではないだろう。しかしにとっては随分長く感じる日々だった。表情からしてもそうなのだろう。
惣治郎はテーブル席の前でお喋りの常連客に掴まったまま、に目配せをした。カレーもコーヒーもお前が準備しろと言うことだろう。は声には出さず頷いて惣治郎に応えた。
「くんのコーヒー、久し振りな気がしちゃう。おいしくなったね」
白いカップに、の淡い色の唇が触れる。なぜだか見ていられなくて、はふいと顔を背けた。
「くん?」
「……腕、鈍ってなくてよかった」
「ふふ、大丈夫。むしろおいしくなってるから」
「……うん。よかった」
幸せそうにコーヒーを飲むを見て、は胸を撫で下ろす。コーヒーの腕もそうだが、なによりの笑顔をまた見られたことに。
約半月前、は生死を賭けた戦いに臨んでいた。勝算はあったが一歩間違えていたら、歯車が狂っていたら、今ここにはいなかっただろう。
再びに会えたこと、この笑顔を見られたこと。は心から嬉しいと思った。
「会えてよかった」
その言葉に、は顔をあげた。自分の考えが口をついて出たのかと思ったが、今のは自分の声ではない。間違いなく、の声だった。
「あ……」
も言うつもりはなかったのだろう。目を丸くし口を手で押さえていた。頬が少し赤らんでいる。
「……コーヒー、おいしいね」
「……ありがと」
狭い店内に、お互いにしか聞こえないような声でふたりは言葉を交わした。
また、日々が過ぎる。クリスマスに出頭したは、少年院の中で冬を過ごしていた。
仲間の尽力もあり出所することになったのは二月の半ばだった。仲間に出迎えられた次の日。「まだ出所したばかりだから」と今日は学校には行かず、夕方からはルブランの手伝いをしていた。
「なあ、お前……」
「はい?」
惣治郎がに声をかけたとき、ルブランのドアが開いた。
「くん!」
ルブランのドアを開けたのはだった。彼女はの姿を見て目を丸くした後、ふっと表情を綻ばせた。
「あー……ちょっと豆取ってくるわ」
惣治郎は気を利かせたのか、二階へと上がってしまった。モルガナもそれについて行ったため、一階の店内にはとのふたりきりだ。
「ブレンドとカレー?」
「うん、お願いします」
はいつものカウンター席に座り、をじっと見つめた。
「久しぶり」
「二ヶ月……はたってないか」
「うん」
「……俺がどうしてたか、聞いてる?」
小さな声では問いかける。
が少年院に入っていたことを、が知らないはずがない。人の口に戸は立てられない。穏やかな空気の漂う四軒茶屋でも、近所に住む人間が少年院に入ったとなれば話題にも上がる。週に一度ここに通うがそれを耳にしないとは考えられない。
「……聞いたけど、忘れちゃった」
は背筋をぴんと伸ばし、に微笑みかける。
「いつか、くんが話したいって思ったときには、聞くよ」
はその言葉を聞いて、俯いた。は思う。ああ、こういうところだ。のこういうところを、自分は。
「……うん」
「コーヒー、お願いできる?」
「了解」
はいつものように、コーヒーを淹れた。その間、はただその様子を黙って見ていた。
それからは、毎週とはルブランで顔を合わせた。も怪盗団の件で動く必要がなくなったためルブランにいる時間が増えたのもあるが、なによりが東京で過ごす時間は残り少ない。その少ない時間を、と過ごしていたかった。
三月の中旬、夕方ルブランで手伝いをしていると、またがやってきた。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
はいつものようにカウンター席に座る。今日もカレーとブレンドだろう。はコーヒーを淹れる準備をし始める。
「悪ぃ、俺ちょっと出るわ。店番頼むぜ」
惣治郎は察したのか、エプロンを外してルブランを出た。おそらくしばらくは戻ってこないだろう。
「佐倉さん、どうしたのかな」
「多分気を遣ってくれた」
は数日後、地元へと帰る。と会えるのは今日が最後だろう。ふたりきりにさせてやろうとという、惣治郎の配慮だ。
「どういうこと?」
「もうすぐ、引っ越すんだ」
「え……くんが?」
「そう」
は言葉とともにコーヒーを出すが、は手をつけない。「うそ……」と小さな声でつぶやき、驚き、そして俯いた。
「……そうなんだ」
「もともとこっちにいるのは一年の予定だったから。まあ、いろいろ予定は変わったけど、最後は予定通りで」
「……そ、っか。寂しいな……」
ぎゅっとはコーヒーカップを握る。いつもの華やかな笑顔は消え、眉を下げ視線を落としている。
「寂しいって思ってくれるんだ」
「それは……もちろん」
「うん……」
は前髪をいじりながら、ゆっくりと口を開く。これが最後か、それとも。
「さん、俺は……」
紡いだの言葉に、の表情は微笑みに包まれる。
ふたりの時間は、まだ続く。