今宵、頂戴します



「あ、怪盗ポストカード」
 わたしの言葉に、ソファでスマホをいじっていたくんが体を起こした。
「怪盗……?」
「ほら、これ」
 先日大学の課題で使うために古本屋さんで買った本の中に、怪盗ポストカードが挟まっていたのだ。元の持ち主が栞代わりに使っていたのだろう。
「本当だ。久しぶりに見たな」
 くんはポストカードを手に取ると目を丸くする。くんの言うとおり、怪盗団のグッズなんて久しく見ていない。
 数年前、世間を騒がせた怪盗団。くんはその怪盗団のリーダーだった。悪人を改心させるヒーローとして扱われこのポストカードのようなグッズが大流行したり、一転殺人の嫌疑で懸賞金がかけられたり……当時は話題に事欠かなかった怪盗団だけれど、それももう昔の話。年単位の月日がたった今、怪盗団の話をする人間はいない。それは当人であるくんやモルガナちゃんも同じ。怪盗の力を失った今、怪盗のことが話題にあがるのはメンバーが揃ったときぐらいらしい。
「懐かしいな」
 しかし、やはりあのときのことはくんの胸に深く刻みつけられているのだろう。その表情からは懐かしさだけでなく、少しばかり悲しげな様子も窺える。
「よくできてる。俺たちが考えたやつよりいいかも」
「ふふ、そんなこと」
「結構苦労したんだ、予告状作るの。ある程度文面にインパクトないといけないし。最初は竜司が作って、祐介が入った後はデザインしてもらって」
「へえ……」
 わたしはくんの隣に座って一緒にポストカードを眺めた。怪盗団のマークだけでなく予告状の文面まで印刷されているタイプのものだ。
「心を頂戴します……」
 ぽつりと小さな声で予告状の文面を読み上げた。「貴方の心を頂戴します」という文章は少し気障とも思える。
「ね、くんくん」
 あ、と少し思いついて足を揃えてくんの方を向いた。
「心盗んで!」
 なーんちゃって、と言いながらポストカードをくんに向けた。「貴方の心を頂戴します」と予告状に書かれているのなら、是非ともくんにわたしの心を頂戴してもらいたい。
 冗談めいた言葉を聞いて、くんは口元にくすりと笑みを浮かべる。その微笑みが妖しくて、わたしは一瞬怯んでしまう。
「もう盗んだつもりだったけど」
 わたしの顎を持ち上げながら放たれたくんの言葉に、わたしの頬はかあっと一気に熱を帯びた。
「足りない?」
「じゅ、十分です……」
「そう?」
 くんは笑みを携えたまま、わたしの唇にキスをした。
「……くん、ずるい」
「そうかもね」
 ポストカードで触れた唇を隠しながら、ほんの少しの恨めしさを込めてそう言った。くんって、本当に、ずるい。



 とある金曜日の夜。アルバイトを終えたわたしはリビングで大学のレポートを作成していた。一段落したところで時計を眺めると、もう十一時を過ぎていた。
くん、もうすぐかな」
「ニャーオ」
 くんは今日大学帰りに夕飯がてら坂本くんと遊びに行っている。少し前に「今から帰るよ」と連絡が来ていたのできっとあと十分ほどで帰ってくるだろう。
 くんが帰るまでにもう少しレポートを進めておこう。あとは最後の仕上げだけだ。先日古本屋さんで買った本をめくり、マーカーを引いた部分を探す。
「あ」
 すると本の間からひらりと一枚の紙が落ちた。件の怪盗ポストカードだ。この本を買ったときのまま、わたしもこれを栞代わりにしている。
「モルガナちゃんも懐かしい?」
「にゃ」
 隣でくつろぐモルガナちゃんにポストカードを見せると高い声が返ってくる。くんがいないとわたしはモルガナちゃんがなんと言っているかわからないけれど、きっと今のはわたしの問いに頷いたのだろう。
「あ、帰ってきた!」
 そんな話をしていると玄関から鍵を回す音が聞こえてくるので、わたしは勢いよく立ち上がり居間から玄関へ続くドアを開けた。やはりそこには玄関ドアを開けたくんが立っている。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 靴を脱いだくんにぎゅっと抱きつくと、くんはキスで返してくれる。行ってらっしゃいのキスやただいまのキスはいつの間にかわたしたちの間で習慣になっていた。
「遅くなってごめん。もっと早く帰るつもりだったんだけど」
「ううん。楽しかった?」
「うるさかった」
 くんは呆れたようにそう言うけれどきっと楽しかったから遅くなったのだろう。くんと坂本くんはお互いに当たりが強いところが結構あり、しかしそれでもふたりは仲がいい。そういところ、男友達という感じで少しうらやましいとも思う。
、それ予告状?」
「あ」
 くんに指摘され自分の手の中に怪盗ポストカードがあることに気づく。モルガナちゃんとおしゃべりしているときにくんが帰ってきたからそのまま持ってきてしまったようだ。
 そうだ。この間のあれをまた言ってくれるかも。
くんくん」
 くんの服の裾を引っ張って、わくわくしながら跳ねるように言葉を投げかける。
「心盗んで!」
 この間みたいに「もう盗んでるつもりだけど」と言われてドキッとしたい。今度は心構えができているのでひっくり返るほどドキドキすることはないはず!
 そわそわしていると、くんは前と同じように口元に妖しい笑みを浮かべる。弧を描いたままの淡い色の唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「じゃあ今夜」
「えっ」
 くんの唇から紡がれた言葉は、まったく予想外のものだった。
 今夜って、えっ、今夜って!? え、そういう意味!?
「待ってて」
「えっ、あっ、はい」
「お風呂入ってくる」
 そう言ってくんは鞄を置くとお風呂場へと直行した。残されたわたしは、玄関の前で赤くなった頬を両手でおさえるだけ。
「予告状出されちゃった……」
 静かな夜の中、モルガナちゃんの呆れたような声だけが響いた。