後輩他校生/2


「綺麗なところだな」
「気に入ってくれてよかったです」
 一緒に映画を見た二週間後、わたしたちは新宿の緑の多い公園に来ていた。のんびりできる場所がいいと言う希望から考えた結果思いついたのがここだったのだ。高校生男子には退屈過ぎるのではと思ったけれど、先輩の学校では事件があったばかり。こういったのんびりしすぎているぐらい落ち着ける場所のほうがいいかと思ったのだ。
「最近ずっと慌ただしかったから、こういうとこはいいな」
 ベンチに座った先輩は両腕を大きく伸ばす。最近は落ち着いたけれど金メダリストの体罰、性犯罪事件はニュースでも大きく扱われていた。報道の中には秀尽の校門前と思われる映像を使っているものも多かったから、登下校の最中も気の休まらないことが多かっただろう。綺麗な景色で少しでも心を癒してもらえればいい。
「男子はこういうところあんまりかなって思ってたんですけど、のんびりできるところって言ってたので」
「男同士じゃ絶対来ないところだし、誘ってくれて嬉しいよ」
「わたし、結構よく来るんです。春は桜が綺麗だし、今はバラも」
「花か」
「あ……っ、さすがに興味ないですよね……」
「いや、花屋でバイト始めたから気になる」
「お花屋さんですか? 素敵ですね」
 男子高校生のアルバイトというとコンビニエンスストアあたりがメジャーだろう。お花屋さんなんて少し洒落ているように感じる。
「たまたま情報誌で見つけて。よく来てるなら花詳しい?」
「それなりには!」
「よし。じゃあバラ園のほう行ってみるか」
「はい!」
 バラ園の中を歩きながら、またぽつぽつと先輩と世間話をする。 
「ごめん、こんな放課後で。最近日曜は予定が詰まってて」
「わたしはいつでも構いませんよ。日曜、バイトですか?」
「バイトとかいろいろ重なって忙しくて。植物見ると癒されるって本当だな。なんとなく楽になった気がする」
 そう言ってバラに顔を寄せる先輩の横顔はバラにも引けを取らないぐらい綺麗だ。わたしは思わず頬を染めてしまう。
 最初に会ったときはそこまで意識が向かなかったけれど、先輩の顔はすごく綺麗だ。縁の大きな眼鏡に隠れている整った顔。惚れた贔屓目かもしれないけれど、すごく、すごく綺麗だ。
「バイト、花束も作らなきゃいけなくて。どういうのがいいんだろうな」
「花束……難しいですね」
「花壇の写真撮っておくか。なんとなく参考になるかも」
「それならあっちがいいかもしれません。いろんな色のお花が咲いてて綺麗ですよ」
 それからも閉園までの間、先輩と園内を歩きながらお話をした。放課後だけの時間では長くはいられないけれど、短い間でも先輩と過ごせる時間があることを嬉しいと思う。
 六月の夕暮れはまだ明るい。お別れの時間には早いように思えてしまうけれど、もう閉園時間だ。
「楽しかったよ。またどこか面白いところあったら誘って」
「はい! 癒し系のスポットならほかにも水族館とか、あと動物園とかもいいですかね」
「なるほど」
「気分転換なら遊べるところがいいですかね。遊園地とかレジャー施設とか」
「いろんなとこ知ってそうだ」
「はい! 観光スポット発掘するのが好きなので。希望があればどこへでも!」
 右手を大きくあげてそう言うと、先輩はふっと笑った。
「えっ、わたし面白いこと言いました?」
「いや、ごめん。変な意味じゃない。そういう元気なところ、本当にいいなって思ってるよ」
 先輩は首のあたりをかきながら言葉を続ける。
「楽しそうなところ見ると俺も楽しい」
「あ……っありがとうございます。なんだか照れくさいですけど」
「照れなくていいのに。あ、俺そろそろ行かないと。夜バイトなんだ」
「あっ、そうなんですね。お疲れさまです!」
「ありがと。じゃあ、また」
 そう言って先輩は地下鉄の駅のほうへ歩いて行く。アルバイトのお花屋さんは渋谷にあると行っていたからきっと電車で向かうのだろう。
 わたしはずっと、その後ろ姿を見つめていた。


 それからも先輩との交流は続いた。だいたい一週間から二週間に一度ぐらいのペースで誘いをかけて、東京の観光スポットを案内した。上野にある動物園や浅草の遊園地、三鷹にあるミュージアム。先輩はなかなか忙しいようで休日はあまり空かず授業のある放課後に会うことも多い。放課後に行ける場所は限られてしまうけれど、それでもわたしとの時間を作ってくれることが嬉しかった。
 そうやって二か月あまりの時が過ぎ、暦は八月に入ろうとしていた。夏休みだし先輩も時間があるかもしれない。次はどこに誘おうかなんて、わくわくしながら考えている。買い物のために渋谷に出てきたのに、考えているのは先輩のことばかりだ。
「あれ……」
 先輩のことを考えながら歩いていると、駅前のあたりが妙に騒がしいことに気づく。
「先輩……!?」
 騒ぎの方角に目をやると、そこには社会人と見られる女性と男性、その間に立つ先輩の姿が見えた。なにやら揉めているようだ。慌ててわたしは先輩のいる方へと走り出す。
「なんだよぉ、お前はよう!」
「やめてください……っ」
 近づいてみると、男性のほうはこの昼の最中から酩酊しているらしいことがわかった。状況を見るに、この男性が女性に絡んでいるところに先輩が間に入ったのだろう。
「先輩!」
さん!」
「なんだぁ、また連れかあ?」
 先輩に駆け寄ると、酔っぱらいの男性がずいとわたしに顔を近づけてきた。う、お酒臭い。思わず一歩みじろぐと、先輩がすかさずわたしと酔っぱらいの間に体を入れてくれた。
「け、警察呼びましたから!」
 先輩の体から顔だけ出して、わたしは酔っぱらいに大声を出す。
「そこの交番の警察官に頼みましたから! もうすぐ来ますよ!」
「ああ? けいさつぅ? ……ちっ」
 警察という言葉に酔っぱらいは怖くなったのか諦めたのか、つまらなそうにその場を去っていった。
「あ、あの……ありがとうございました」
 酔っぱらいが見えなくなったところで、先ほどの女性が深々と頭を下げてくる。
「先輩、あの……なにがあったんですか?」
「わからないで来たの?」
「え、あ、はい。先輩が大変そうだったので……」
 つい、と頭を掻くと先輩はうつむいてしまう。う、呆れられただろうか。
「あの……私がさっきの人にうっかりぶつかってしまって、絡まれてるところをその方が助けてくれたんです。あなたもありがとうございます」
「そんな、わたしは大したことは」
「いいえ、本当にありがとうございます」
 女性はひとしきりお礼を言うと、駅の方へと歩いて行った。女性の姿が見えなくなったところでわたしは先輩に声をかける。
「あの、先輩すみません。首突っ込んじゃって」
「え、なんでさんが謝るの」
「余計なことしたかなって」
「余計なことじゃないよ」
 先輩はわたしの言葉にかぶせるように、ピシャリと言い放つ。
「ああやって誰かを助けようとすること、俺は余計なことだなんて思わない」
 先輩の言葉が、じんと胸の奥に沁みていく。ああ、やっぱりこの人は、あのときわたしを助けてくれた人だ。わたしの好きな人だ。
「そういえば、さんは買い物?」
「はい、そうです! 先輩もお買い物ですか?」
「そう、ちょうど済ませたところなんだけど……」
 先輩は肩にかけた鞄を持ち直しながら、少し考える仕草を見せる。
「よければちょっと遊ばない?」
「へっ」
「暇ならだけど」
「ひっ、暇です!」
 先輩の言葉にかぶせるように慌てて返事をした。まさかのボーナスタイム、断る理由なんてひとつもない。
「よかった。って言っても俺も夕方から用事あるから、この辺でぶらぶらしようか」
「はい!」
 先輩の誘いでやってきたのはゲームセンターだ。映画はちょうどいい時間に見たいものがなかったし、近場で遊べるところと言って先輩の目に入ったのがここだったらしい。
さん、ゲーセンよく来る?」
「いえ、あまり……」
「やっぱり。誘ってくる場所も上品なとこが多いし、ゲーセンはあんまり縁なさそうだなって」
「え、上品ですか?」
「公園とか博物館とか、高校生にしては上品なところ選ぶなって思ってた。俺ひとりじゃなかなか行かないし面白いけど」
 一応東京の観光名所と呼ばれるところをピックアップしていたつもりだけれど、確かに高校生としては落ち着きすぎているかなとは思っていた。だからと言って上品と評されるとは思っていなかったけれど。
「ゲームしてみる?」
「してみます!」
 ゲームセンターのゲームはほとんどしたことがないけれど、先輩はそれなりに慣れていそうだ。ぜひともご教示願いたい。
 それから先輩の隣でゲームに興じた。ドライブゲームは逆走するしガンアクションは何が起きているかまったくわからなかったけれど、わからないなりに楽しかったし、なにより先輩がやり方を教えてくれたのが嬉しかった。
「いろんなゲームがあるんですね」
「まあ、結構ね。俺もたまにしか来ないからちょっとしかやったことないけど」
「そうなんですか? でも先輩すごくうまかったですよ」
 ゲームセンター内にある自動販売機で買った飲み物を飲みながら、わたしたちは会話を続ける。わたしはオレンジジュース、先輩は缶コーヒーだ。
「わたしもたまに来ても友達と撮るぐらいで……ゲームするの新鮮で楽しかったです」
「それならよかった」
「あ……」
 空いたスペースの柱にもたれながら話していると、ふとUFOキャッチャーに目が行った。デフォルメされた大きな猫のぬいぐるみが陳列されている。
「気になる?」
「そう、ですね……一回やってみます!」
 あの猫のぬいぐるみはどうしても気になる。あの黒い猫がわたしを見ている気がしたのだ。
 とはいえ、UFOキャッチャー初挑戦の身では一回で取れるはずもない。あと一回だけ、と追加でさらにもう一回プレイしたけれど、途中でぬいぐるみは落ちてしまった。
「ああ……」
「俺もやってみるか」
 そう言って先輩は先ほど両替したコインを入れてゲームを起動する。キャッチ部分を見つめる先輩の瞳は真剣そのものだ。
「あっ、すごい掴まった!」
「よし」
 先輩は器用に操作しぬいぐるみをがっちり掴んだ。あとは自動でアームが動くだけだ。
「わっ、やった!」
 無事猫のぬいぐるみはそのまま景品口まで移動し落ちていく。ドアを開ければ黒猫がこんにちはだ。
「すごいですね、先輩!」
 猫のぬいぐるみを先輩に渡すと、先輩はふっと笑ってそれをわたしに差し出した。
「はい」
「へっ」
「あげる。いつもいろんなとこ連れてってもらってるから、お礼」
「えっ、でもそんな」
「せっかくだし受け取って」
「じゃ、じゃあ……遠慮なく。ありがとうございます!」
 いいのかなと思いつつも先輩から猫のぬいぐるみを受け取った。ぎゅっと抱きしめられるぐらいに大きなぬいぐるみ。先輩から初めてもらったプレゼントだ。
「嬉しいです……一生大切にします!」
 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。嬉しい。嬉しい。心の奥が暖かくてふわふわした気持ち。こんなに幸せで、いいのかな。
「……先輩?」
 ぬいぐるみを抱きしめていると、先輩が神妙な面もちでこちらを見ていることに気がついた。声をかけると先輩は少しばかり気まずそうに自身の首に触れる。
「あ……いや、想像以上に喜んでくれたから」
「喜びますよ!」
「そっか。……じゃあ、そろそろ行くよ。バイトの時間だ」
「あ、はい。今日はありがとうございました」
「うん。気をつけて」
 去りゆく先輩に手を振って、もう一度猫のぬいぐるみを抱きしめた。嬉しい。嬉しいな。どうしようもなく幸せで、満たされている。
 家に帰った後、先輩からもらったぬいぐるみを枕元に置いて写真を撮った。この写真を見返せば、いつだって元気になれる。そんな気がした。


「それ、遊ばれてるんじゃないの?」
「へっ」
 友人と待ち合わせしたファミリーレストランの席で、彼女に投げられた言葉にわたしは素っ頓狂な声を上げる。
「お金むしり取られたりしてない?」
「してないよ。自分の分はそれぞれ出してるし、変なこともないし」
「でもなんかあれだよね、都合のいい女って感じがする」
 空になったドリンクバーのコップを回しながら、友人はじっとわたしを見つめてくる。
「先輩、が先輩のこと好きだって知ってるんでしょ」
「うん……」
「それ、キープっぽい感じ。彼女がいるけど別れたとき用の予備っていうかさ、他にも同じような人たくさんいるかもよ」
 う。友人の言葉が胸に深く突き刺さる。
 いや、わたしと先輩は変な関係ではない。ただたまに一緒にお出かけをするだけ。お金はきっちり分けているし手をつなぐどころか指が触れたことすらない。そう、わたしたちの関係は。……関係は?
 あれ、わたしたちの関係って一体なんだろう。もちろん恋人ではないし、学校の同級生でもない。アルバイト仲間でもない。友人が一番近いのだろうか。
 よく考えるとわたしたちは奇妙な関係かもしれない。友人同士が一番近いのだろうけれど、わたしは先輩が好き。先輩はその気持ちは知っているけれど付き合う気持ちはおそらくない。確かにキープだとかそう言ったものに近しい……かもしれない。
「でも……」
「でも?」
「先輩、そんな人じゃないと思うし、それに」
「それに?」
「わたし、先輩と一緒にいたい……」
 微妙な関係だとしても、先輩とわたしを結ぶものはほかにない。同じ学校でもなければアルバイト仲間でもない。共通の友人もいない。わたしが誘わなければ、わたしたちの関係はそこで終わってしまう。
「そういうとこ!」
 うなだれていると、友人は机をバンと叩いて高い声をあげた。
「すごく騙されやすそうで不安なんだけど!」
「は、はい」
「じゃあもう期限決めなよ。そこまで一緒にいてなにも変わらないならそこで終わり。どう?」
「えっ、でもそんな」
「じゃあはそんな適当なキープちゃんでいいの? 遊ばれてるだけでもいいの?」
「それ、は……」
 返事をためらっていると、テーブルの上にあった友人のスマホが激しく振動する。
「あ、ごめん。そろそろ行かないと」
「部活、今日は午後練なんだっけ」
「そう。さっきの先輩の期限は会ってから三か月ってとこじゃない」
「へっ」
「別に三ヶ月じゃなきゃいけないわけじゃないけど、どこかでちゃんと区切らないとだめだよ。そういうのはしっかりしないと! ってぽーっとしてるから心配だよ」
「う……」
 友人はそう言うと自分の分のお会計をぴったり置いて、ファミレスを去って行った。
 確かに友人に言うことはもっともだ。高校に入ってから同級生の間でも彼氏だと思っていたけど遊ばれていただの、優しく見えた年上に騙されただの、そう言った話を耳にするようになった。わたしだけ例外になるとは限らない。それに加えて、わたしは「騙されやすそう」なんて言われることも多い。
 スマホを手に取り、チャットの友人一覧の画面を開く。表示されたの文字をなぞった。
「三か月……」
 先輩と遊ぶようになってから、二か月あまりが過ぎた。友人の言う三か月はもうすぐそこだ。友人の期限に従わずともいいのだろうけれど、彼女の言った期限は道理が通っているとも思う。
 先輩は友人が心配するような人ではないと思う。あのときわたしを助けてくれた優しい人。それ以外の場面でも彼の優しさが垣間見えることが多々あった。
 それでも、この微妙な関係をいつまでも続けるわけにはいかないだろうことも、心のどこかでわかっていた。いつかで答えを出さなくてはいけない日が来るのだろう。
「先輩……」
 スマホを開いて先輩からもらった猫のぬいぐるみの画像を開いた。胸の奥が、痛んだ。
「わっ」
 じっとスマホの写真を見ていると、スマホが震え着信を知らせる。相手は先ほど会っていた友人だ。
「もしもし、どうしたの別れたばっかりで」
「あ、? ねえ、さっきの先輩のことなんだけどさ……」
「え……」